毎年行われるサンタパレードというイベントで流れてくる出し物
でもそれが誰か他人と会話していると、何か閃いたかのようにそれまで曇っていた視界が開けて悩みの度合いが和らいだり、アイデアが浮かんだりすることが何度かあります。
勿論そういう時って悩みに関連した会話をしてるのが前提で全然関係ない話しとかしててもダメだと思うのですが、ただ一人で考えてる時に必ずどっかで行き詰まってしまうのが、誰か人と会話のキャッチボールをしてると脳が化学反応を起こすのか、電流が流れるかのように刺激を受けて、悩みの解決以外にもアイデアが閃いたり、物事の本質の喝破に繋がったりする経験が結構あります。
思うに人という生き物は他人と接触して生きていくように遺伝的にプログラミングされてて、一人で考えてても人との交流によって生じる脳への刺激がないから行き詰まりやすくなるんじゃないかと思います。
だからもし人と会わなくなったり、交流を遠ざけていると人と会うことで生じる緊張感とか精神の張りみたいなのを持つ事がなくなるし、人と会話してないと脳への刺激がなくなるから、言語や思考能力が衰えていくだろうし、人と交流することで感じる「楽しい」という感情の弾性もなくなっていくわで、精神的にも廃れていくような気がします。
自分の経験上でもWWOOFやってた時に、2-3日山小屋の中で一人で留守番しないといけなかった時があって、その時は家主もいないし、誰にも気使わなくていいし、仕事も適当にやれるしで「きゃっほーい」とか「気楽だわー」とか思ってたのですが、会話する相手がいないので段々発狂しそうになるぐらいに、自分の精神がおかしくなりそうな気分になりました。
よく「将来は誰にも会わずに、自宅でパソコン一つだけで仕事できるような環境を構築したい」(あるいはノマドのような生活がしたい)とか前は思ったものですが、もし実現出来たとしても、人と会わないような環境なら、全然やってても楽しくないし、精神衛生上宜しくないんじゃないかって最近思います。
今「仕事をしてる関係で出会う嫌な人達(上司なりお客さんなり)と金輪際会わないために自宅で仕事が出来るようにしたい」みたいな感じで考えてる人もいるかと思うのですが、それはそれで独立していくための大事なモチベになるから別に文句つけるわけじゃないですが、自分が今後自宅で生計立てるSOHO系(ないしはノマド)を目指すなら、人と会わないために自宅で仕事が出来るようになるのを目指すんじゃなくて、自分が会いたい人と会う、もしくは自分に好意的に会いに来てくれるような環境を構築していく方がいいんじゃないかって思います。
そうじゃないと、結局そこで出会う人は嫌な人達ではないにせよ、楽しくもワクワクもしないだろうし、「自宅で仕事」だけをモチベにしてると、仕事が楽しいとか、理念とか、人を引き寄せる要素がなく、全く人が寄ってこない可能性とかもありそうですし、自給なんぼのネットランサーみたいな請負仕事だけしてる場合はよほどのスキルがなければ世界賃金のフラット化にともなってどんどんジリ貧になっていきそうです。
このSOHO系で身近で成功してる例だとシドニーのAPLAC田村さんなんか共通属性を持った同じ波長を持つ人達が海の向こうから会いに来てくれるような環境で人と会うたびに楽しいだろうし、NZで以前に訪ねたこちらのKiwiのご一家も山奥で電気も通してないオフグリッド生活で、もはや文明に背を向けた生活してるのですが、記事中でも書いたようにこの場所が人が集まる拠点のような感じになってて、家主のやってることに共感する人達が基本会いにくるし、あとタスマニアにいた時にHelpx使って滞在していた陶磁器アーティスト夫妻も基本は自宅で仕事してるわけですが、ここもこのアーティスト夫妻に興味を持ってる人達が向こうからやって来てくれる環境だから、毎日楽しいんだと思います。
だから「自宅でパソコン一つ」つっても、それが先行する形じゃない方が、会いたい人に会えるようになって楽しいのかなーと妄想してます。