2019年の6月25日から5日間ほどだけですが、鳥取県は米子市に隣接する大山(だいせん)町という大山の麓の町でWWOOFをやっていました。今まで海外(オーストラリアとニュージランド)では合計20件近くの場所をWWOOF(&Helpx)で訪れた自分ですが、日本でWWOOFをやるのはこれが初めて。
ちなみに鳥取県自体に足を踏み入れるのも初めてではあったのですが、不思議だったのは、高速バスに乗って鳥取に入ったあたりぐらいから赤褐色の瓦屋根を使ってる民家がポツポツと目に入るようになって、(シーサーこそ乗ってないものの)沖縄の赤い瓦屋根のようで「なんか雰囲気が沖縄ぽくて異国感あるなー」と思ってて、後でWWOOF先の方に尋ねてみたら、石州瓦という島根県の石見地方で生産されている粘土瓦だと言う事が分かりました。
石州瓦(せきしゅうがわら)は、島根県の石見地方で生産されている粘土瓦のこと。 三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9E%E7%93%A6
そんなこんなで京都から4時間ほどバスに揺られて目的地である米子市に到着して、そこからローカル電車を乗り継いで大山町に向かったわけですが、お迎え先である最寄駅についたら、道中の景色からかなりの田舎である事は予想できてましたけど、駅のプラットフォームから見える景色が、「菊次郎の夏」のを連想するような「The 夏」の景色のような感じで、夏の青い空と、どこまでも果てしなく続く線路の先の方は照りつける太陽に打たれて陽炎が沸き立つのが見えるようで、海外いた時には垂涎もの(笑)だった風景が今目の前にあって、「はー」としばし見入っておりました。
仙人掌(さぼてん)さん現る
そして駅に着いて10分ぐらいしてから今回のWWOOF受け入れ先のホストである仙人掌(さぼてん)さんが車に乗って登場。日本で初めてのWWOOFだし、初の日本人ホストとのWWOOF生活だしで、「こき使うような人だったらヤだなー」とか、少し不安な部分もあったのですが、いざ仙人掌さんと話してみたら、ものすごく柔和な表情と話し方をされるので、不安は徒言のように、一瞬でなくなりました。
実は仙人掌さんのことは、かなり特徴的なお名前なので、事前にインターネットで下調べをしてたのですが、お地蔵さんの木彫りを彫り、墨絵も書かれてるアーティストとして活動をしてる方だったようで、日本の各所での個展に訪れた様子を書いた人のブログがいくつか散見されました。例えばこちらやこちら。
仙人掌さんの作品(写真を撮り忘れたので引用)
引用先:ホテルシルク温泉やまびこ様
上の作品を見ても分かるように、とても力強いメッセージ性のある言葉と、温かみがあって、弱ってる誰かを包み込んでくれそうな寄り添う言葉が仙人掌さんの作品の特徴で、自分自身もいくつか作品を見させてもらったのですが、しばし見とれていました。
ちなみに仙人掌というのは勿論本名ではなく、高校時代のあだ名だったんだそうですが、その由来はと言うと、京都の高校時代(ご本人は東京生まれ、京都育ち)当時は髪の毛がツンツンに逆立っていたところから、 サボテンの愛称が根付いたそうで、今では親御さんですらもサボテンと呼んでるそうです(笑)
「北の国から」のような自給自足生活風景
そんなこんなで、最寄駅から車で10分程で仙人掌さんとご家族が住む家に到着したのですが、周りに人家は見当たらず、平屋のご自宅と、廃材を利用して手作りで作ったというWWOOFer(WWOOFで訪れた人の事をこう呼ぶ)が寝泊まりする小屋や、竃(かまど)、そして野菜等が育てられている自給自足の畑が家の真下の斜面に段々畑のようになってて、さながらドラマの「北の国から」のような自給自足生活の風景が。
仙人掌さんに聞くところによると、今ではある程度整備されたこの場所も、移住してきた当初は小屋の高さぐらいの草が生い茂ってて、どこに家があるのか全然分からないぐらいに荒れ果てて手入れが行き届いてなかったんだそう。それを少しづつ少しづつ整備して、草を刈り取って、笹や、葛や、木の根を掘り起こし、畑を広げていき、廃屋同然だった家を改修して、、ってな感じで、移住を果たされたんだそうですが、その後も土砂が崩れて、家の裏側になだれ込んできたので、一年ぐらいかけて土砂対策のための整備をしたり、小屋自体も4回ぐらい建てたけど、強風で吹っ飛ばされたりとかして、5回目の挑戦でようやく完成させたんだそうです。
「(小屋が吹っ飛ばされて)いい勉強になりましたよ〜」と仙人掌さんはニコニコしながら言ってましたが、オーストラリアやNZでWWOOF廻ってる時もこの種の艱難をしのいで、苦労してるはずなのに、そこに住み人はむしろネタ的に美味しい話かのように話をされるんですよね。(勿論その瞬間瞬間では心労とかあるでしょうが)僕ら都市部に住む人間にとったら「ウギャー!」となるけど、彼らにとっては「ああ、またか」という定期的に訪れる想定内のイベントのような感じに見えるのが、こういう暮らしをしてる人達の強さですよね。災害が起こっても生き延びていける確かな知恵と経験と技術とタフネスさがある。
自給自足生活を営むなら
日本で田舎暮らしをしようと思うと、どうしても昔からその土地に暮らしてるローカルの人達との付き合いなんかが気になるところではありますけど、この場所は見渡す範囲に人家がないので、その辺りを気にする必要はないそう。仙人掌さん自身も「自給自足の生活をするなら集落ではやらない方がいい。普通に生活してる人から見れば何か変なことやってるなっていう目で見られちゃうんで、こういう生活をするなら周りに人家がない方が気が楽でいいですよ」と言ってましたが、確かに僕もWWOOF体験してなかったり、海外行ってこういう生活体験してなかったら、一般的な日本人の感覚のように「変な人」として見てしまうのかもなと。
ちなみに仙人掌さんは鳥取の以前は兵庫県の豊岡でも自給自足生活を営んでいた時があったそうで、その時は三十代以上続く集落で生活していたそうなんですが、住み始めた最初はよそ者という事もあって、代々続く集落に入りにくい感じがあったんだそう。ただ仙人掌さんご自身の人柄もあってか、お別れの日、集落のほとんどの 方々が見えなくなるまでお見送りしてくださったそうです。
今住んでるこの場所は、仙人掌さんの個展などを通じて、日に日に痛んでいく家屋を管理するのに困っていた大家さんとたまたま出会うことが出来たのが住むきっかけになったそうで、放っておいたら荒れていく一方の広大な土地だし、家の固定資産税だけ払ってもらえばいい(農地などは含まれない)という条件で、運よく安く借りることが出来たんだそうです。具体的な月々の賃借代は公開できないですが、”普通”に探してたらおそらく見つからないであろう金額で、僕も値段を聞いたときは予想よりもかなり下回ってたのでびっくりしたんですが、仙人掌さんご自身は「家の修理や、家周りの整備、敷地の草刈作業等は、果てしないほどやることだらけなので、決して‘家賃が安い‘だけではない」のだそうです。仙人掌さんはフルタイムでこの広い土地をほぼ毎日手入れしておられるので、その苦労たるや僕のようなちょびっとこの生活をかじった程度の人間には想像にも及ばない苦労があるに察します。
ちなみに鳥取の前の豊岡、それから徳島でも自給自足系の生活をしてたそうなんですが、その時も普通に探してたらなかなか見つからないような金額で住まわれてたそうです。
ネット上には空き家バンクとか今ではどの町にもあって、これからも空き家を登録する人は増えてくるでしょうけど、あんな風に登録してる人なんてほんの氷山の一角なのかなと思います。人様に貸せるほど家の中が整理されてないとか、仏壇がまだ置いてあるとか、こんな家載せても誰も興味持たないだろうとか、それこそこの場所のように荒地になってるのでどうしようもない、って理由でネットに載せてない人の方が大多数なのかなと。でも誰も住んでないし、ほっといたら敷地はどんどん荒れていくしってな感じで誰かに住んでもらいたいと思う大家さんは多いはずで、そういう場所って、使ってない鋤とか鍬のような農耕具が置いてあったりする可能性あるし、自給自足やりたい借り手側としては喉から手が出るお宝物だったりするから、逆に空き家バンクに載ってるようなちゃんと整理された空き家じゃない方が良かったりする場合もあるような気もします。
だからもし限りなく安い値段で空き家に住みたいのであれば、ネットだけとか一つの方法で探すのではなく、人に聞いたり、張り紙貼ったりとか、仙人掌さんのようにアーティストの方なら個展で情報集めてみるとか、オーストラリアのように「ギター教えます」「◯◯直します」とかスーパーに張り紙貼って、バーター交換のようにネットに出てこないような情報を集められるようにしておいて、自分の希望に合うものが見つけられるようにいろんな手段を思いついて実行できるようにしておいた方がより選択肢も広がるのかなと思います。
自分もその後に電気工事の資格取って、いざこういう場所に行って何かバーター交換できるようなスキルをたくさん持とうと、今も色々鋭意勉強したりしてる途上ではあるのですが、んでも実際は草むしりとか、重いもの移動させるとか、結局マンパワー的な依頼が多そうで、全然そんなスキル使わない〜ってな事もありそうな気もします笑
長くなったので一旦ここらで。