仕事とは何か


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ここオーストラリアに戻ってきて3ヶ月が経とうとしている。

2ndビザを使用しているのだが、1年目が終わった時に唯一心残りだったのがwwoofだった。

前回のラウンド中は正直お金を稼ぐのが主目的になっていた。というよりも個人的な財政事情からそうならざるを得なかった。

日本で返さないといけない借入金があったからなのだが、これではダメだということで1年目が終わり次第日本に戻り実家近くの工場で半年程働いて何とか財政事情は安定化したわけである。

2ndではなく観光ビザで戻ってきても良かったのだが、何か2ndを使わずにいるのが気持悪かった事もあり、申請料金が値上がりしたてではあったが今は2ndを使用して正解だったと思っている。

いざとなれば働いてお金が稼げるからだ。

仄聞程度ではあるがwwoofでもお金を稼ぐ事ができるというのを聞いた事がある。

ホストがレストラン等を併設したりしていて、wwoofの仕事とは切り離して働く事ができるようだ。

実際かく言う私も1年目にHelpxを使用してダーウィン近郊でお世話になった際に併設していたレストランでpaid jobをやった経験がある。

その時は思った程稼げはしなかったが、うまくいけばお金だけ稼いで滞在費用は一切かからない生活もできるという事になる。

今現在の私は差ほど窮乏しているわけではないので、真剣にpaid jobを探しているわけではない。

勿論おいしい話や経験上必要だと感じればまた別であるが、お金ではない何かをwwoofやHelpxでは求めている。

これまでに7件程のホストにお世話になったが目に見える形でお金は勿論発生していない。

ホストによって働く時間もバラバラであるし、与えられる仕事も異なる。

しかしpaid workでは感じれなかったものを毎回得ているような気がする。

一つの例として、私がやったpaid workの中でマンゴーの摘み取りの仕事があった。

これはケアンズ近郊で行った仕事である。

当時はラウンド中終始お金もなかった為仕事をしている時はお金の為に毎朝5時半に起きて週7日労働に耐えながら働いたわけだが、終わってみて感じたのは何とも言えない感情であった。

正直お金は手に入ったが全く楽しくないのである。

仕事期間中は同僚と一つ屋根の下に住んでいわゆる共同生活をしており賑やかさという面では楽しかったが、自分の心の奥底にあったのは虚しさであった。

誤解のないように書いておくとpaid workの全てが悪いわけではない。

お金をもらってプロ意識を持ちながら働いている人もいるし、極度のプレッシャーに耐えながらでしか得られない経験もある。

しかしオーストラリアではあくまで一般的にだが移民がまずおいしい仕事につける可能性はあまり高くはない。

英語が堪能でもスキルがなかったりビザの関係で選べる仕事が限られてしまうのも事実だ。

英語があまり得意でない部類に入る我々アジア人はもっぱらファームでピッキングをやったり、ホテルでハウスキーピングをしたりと差ほど高等技術を要されない仕事が中心になってくる。

そうなると得られるものはお金だけという事になってしまってもなんら不思議ではない。

勿論ファーム仲間の中で知己朋友が出来たり、世界各国から来ている人と働く事で学ぶ事もあるかもしれない。

私個人の場合は台湾に友達が出来たし、これまでの人生でほとんど出会った事のなかったヨーロピアンとも一緒に仕事をし自分の見識が広がったように思う。

それはそれでいいことである。

ただし繰り返しになるが、やはり虚しさが心の大半を占めていた。

この心情は何だろうと内省してみたが、自分がその場所において必要とされているかされていないかの違いではないかと感じた。

こんな話しを聞いた事がある。

あるwebデザイナーのwwooferが本来のwwoof業務とは別でホストの依頼によりホストのwebサイトの手直しをしたそうだ。

その際「お礼に」という事で謝礼の授受があったらしい。

wwoofでは本来金銭の授受はないが、この例を見るとホストにとってはそのwwooferの働きをお金という形で、wwoofの仕事とはまた別で評価した事になる。

仕事の出来≒対価という図式で考えるとお金のやり取りがあっても何ら問題はない。

そのwwooferはホストにとってお金を払う価値のある必要な存在だったのである。

最初の例に挙げたマンゴーの摘み取りは自分の存在価値の必要性という面で見るとあまり高くはない。

なぜなら誰でもいいからである。

所詮は季節感労働者の使い捨てでしかない。

実際摘み取りが遅かったり、勤務態度の悪い者は首をすげ替えて新しい労働者が入れ替わり立ち代わりに入っていた事もあった。

私はまだ人生を28年しか生きていない。

人生の酸いも甘いも知っているわけではない。

どちらかと言うとこれからもっと経験していく立場である。

だがこれだけは分かる。

自分が必要とされない事程辛いものはない。

「あなたじゃなくても幾らでも変えが利く」と遠回しに言われているようなものだ。

相変わらず英語は下手くそなのでwwoofでもやれることは限られているが、私はその時出せるベストを尽くすようにしている。

時々同じ事の繰り返しで嫌気が差してしまう事もあるが、ホストに全力で報いる事で自分の存在価値を見出している気がするし、ベストを尽くす事が私を召し入れてくれたホストに対する礼儀だと考えている。

「愉悦に浸る」で書いたようにホストに自分の仕事を評価してもらった時がこの上なく幸せな瞬間の1つだ。

ホストといろいろな話をして自分の知識や世界観が増える事があるが、それははっきり言って自分はものすごく得をしているように思う。

(写真は冬のTongariro Alpine Crossingにて)


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