フラットメイトとのトラブル顛末記と葛藤と誠実さについて(1)

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夕焼け時。近所にて

去年の12月から今年の2月頭ぐらいまでの約3ヶ月間ぐらい、フィリピン人のカップルと一つ屋根の下で共同生活してたのですが、僅か3ヶ月ほどで家を出ていかないといけなかった(実質追い出されたような感じになった)ことがありました。

彼らと住むようになったのは、こっちでは一般的なフラットメイト(同居人)募集の広告がTrade MeというNZで最大のポータルサイトに掲載されてたので、ちょうど引っ越しを考えていた自分がそれに応募して、向こうも自分以外にも複数の応募者の中から最終的には自分を選んでくれて両者納得の上で一緒に住み始めることになりました。

最初の印象としては、彼らカップルは若くて確か26・7才ぐらいで、人当たりもすごく良くて出会って数秒でこっちもすぐにリラックスする事が出来たし、男性側の方は母国フィリピンで数学の修士号持ってて、BNZというこっちの大手の金融機関でWork to Residenceという2年その雇用主の元で働けば自動的に永住権が取れるというなかなか難易度の高いビザを出してもらってて、大学で学んだ応用数学のスキルを使って、システム上のリスクモデリングとかいうなかなか難しそうな仕事してたし、まだ当時彼らはNZ来て1年半ぐらいだというのに、週末はマーケットにお店出すぐらいに副業にも本腰入れてるしで、同居人として住むにはおそらく常識もあって、きっと楽しく過ごせるのと同時に刺激も貰いながら住めるんだろうという淡い期待を持って共同生活を始めました。

結果としては彼らの男性側の妹が転居してくるために部屋を空けてほしい、という理由で自分が住んでた部屋を空けるために実質追い出される形で冒頭に書いたように僅か3ヶ月で同居生活にピリオドが打たれることになったわけなのですが、こういう結果になるまでには伏線が幾つかあって、後から思い返せば入居前から「あれ?」と思う事もいくつかありました。

ただ彼らの最初の印象が良かったものだから、「あえて取りざたすほどのものではないだろう」と自分の中でその「あれ?」を見ないことにしようとしてた側面もあったのですが、結果的にはその時思った「あれ?」をもっと吟味しておくべきだったわけで、入居前に感じた自分の直感力のようなものにもっと向き合っておくべきでした。

その「あれ?」と思った内容というのは、詳しくは割愛しますが、彼らの自己中心的な行動に起因するもので、その後の入居後に発生したトラブルの説明もつくようなものだったと後から振り返れば思います。

その入居後のトラブルというのは主にノイズ関係で、彼らの週末の副業であるマーケットの準備のためにBGMがてら夜遅くまでテレビを大音量にしてたり、そうでなくてもカップルの女性側の方が韓流ドラマを夜遅くまで大音量で見てたり、彼らの部屋の中でスカイプか何かで深夜0時ぐらいになってもデカい声で誰かと話し込んでるのが自分の部屋まで結構聞こえてきたり、自分の部屋に隣接してるシャワールームに深夜11時から0時過ぎぐらいにシャワー浴びるから直に自分の部屋の壁を通してシャワーを浴びてるデカい音が伝わってくるしで、自分の中で今までNZ(なんならオーストラリア)に来てからどんなに夜遅くても10時以降は家の中は静かになるという認識だったし、こっちの生活感覚だと朝早いから夜遅くまで起きてる人がそもそも少ないしで、入居そうそう1週間かそこらぐらいであまりにも耐え難くショックを受けたので、一旦自分から以下のようなメールをカップルへ送りました。

Hi Guys, 
I’m just wondering if you could take a shower before at latest 1130pm every night as the shower room is right next to the wall of my room 
and the noise is too big to be relaxed for me after tiring work and falling asleep smoothly, especially last night it was too late.
On top of that, after 11pm (in general maybe (10pm) I preferably would like you to keep your voice and TV volume down as much as possible
so that I can have a more relaxed night with a peaceful mind after work.
I know you guys are busy people and have many things to do until late 
but I want you to be more aware that the noise and voice can be easily heard even with the door shut.

To be honest, I don’t want to make things fussy every time this kind of things happen but

I don’t wanna accumulate my complai
nts until I cannot stand it anymore.
Hope you understand my concern so that we can live together without anything that makes us feel distressed each other.
I’m happy to discuss this in person.
Thanks
Takuma

このメールの意図はいくら生活音に不満があると言ってもいきなり「ゴルァ(゚Д゚)」と凄むわけにもいかないから、まずは早い時期にソフト(でも意志は明確に)な感じでコンプレイン(不満)を伝えておくことで、自分が思っている事を相手に伝えるのが第一の目的。

仮に不満を伝えなかった場合は、彼らが起こすノイズが相手にとっては当たり前になっていくから、後で文句言ったとしては「何でもっと早く言わなかったの?」とか「言ってくれなかったから気づかなかった」と言われるのは目に見えてるし、何より自分が我慢すればいいだけとか日本人にありがちなことやってると、いつか絶対に自分の抑えがきかなくなって爆発するだろうから、自分の中の不満がまだ小さい段階で彼らに知らせるべきだと思いました。

このメールのその他の目的として、彼らが忙しくて夜遅くまで作業をする事情というのも理解できるけど「ドアを閉めててもノイズは結構聞こえてきたり、シャワー音も彼らが思うほどに音が大きいよ」という事実を伝えてあげることで、今後の注意喚起を促す目的もあるし、喧嘩腰でもなんでもなく、メールの最後に「お互い煩うことなく暮らせるように」と書いて、もし必要なら「直接話すよ」と議論の余地もあると伝えることで、「自分の意見を一方的に述べているのではないよ」と伝えるのも目的でした。

そしたら彼らからは

Hi Takuma,
Thanks for informing us and apologies for that. Actually we didn’t think that you can still hear everything from the living room as we didn’t hear anything from our previous tenants if we’re asking them. Anyway, we’ll try our best to finish everything by 11pm or if not we’ll try to keep it down.

という返事が返ってきて、ノイズが自分の部屋まで聞こえてきてることは案の定気づいてなかったようだし、「これからはノイズに関しては迷惑かけないようベストを尽くすよ」という注意喚起を促すという意味においては自分のメールの意図は伝わったようだったので、自分からは

Hi ○○ and ○○(彼らの名前)

I really appreciate your understanding and you’re actually trying to keep it down! Thank you so much!
I feel much better!

(この時はクリスマス休暇が始まる前の仕事納めの日だったので)

It’s my last day (probably you too) of my work. I’m so happy!
Happy Christmas!!
Takuma


彼らが理解してくれたことに最大限の敬意と感謝を示すのと同時に、「もうわだかまりはないよ」というのを伝えるために、「仕事納めでハッピーモード全開だからこれからは楽しくいこうぜ!」という感じで返信しました。

そしたら彼らも

Glad to hear it! Now we can enjoy game and movie nights! 🙂 

と返してきてくれて、「わだかまりや、しこりなく行こうぜ!」的にこの話は一旦解決した感じになりました。

長くなりそうなのでその(2)へ続きます。

人と交流する事/会いたい人に会えるようになる事

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毎年行われるサンタパレードというイベントで流れてくる出し物

最近毎回思うのが何か悩みとか将来の方向性とか人生において適切な進路を取っていくためにあれこれ自分一人で考えてても、結論はすんなり出てこないし、考え過ぎれば考えすぎるほどにどんどんネガっぽい気持ちになって、結局思考が行き詰まって「あー、うー」となってしまったりします。

でもそれが誰か他人と会話していると、何か閃いたかのようにそれまで曇っていた視界が開けて悩みの度合いが和らいだり、アイデアが浮かんだりすることが何度かあります。

勿論そういう時って悩みに関連した会話をしてるのが前提で全然関係ない話しとかしててもダメだと思うのですが、ただ一人で考えてる時に必ずどっかで行き詰まってしまうのが、誰か人と会話のキャッチボールをしてると脳が化学反応を起こすのか、電流が流れるかのように刺激を受けて、悩みの解決以外にもアイデアが閃いたり、物事の本質の喝破に繋がったりする経験が結構あります。

思うに人という生き物は他人と接触して生きていくように遺伝的にプログラミングされてて、一人で考えてても人との交流によって生じる脳への刺激がないから行き詰まりやすくなるんじゃないかと思います。

だからもし人と会わなくなったり、交流を遠ざけていると人と会うことで生じる緊張感とか精神の張りみたいなのを持つ事がなくなるし、人と会話してないと脳への刺激がなくなるから、言語や思考能力が衰えていくだろうし、人と交流することで感じる「楽しい」という感情の弾性もなくなっていくわで、精神的にも廃れていくような気がします。

自分の経験上でもWWOOFやってた時に、2-3日山小屋の中で一人で留守番しないといけなかった時があって、その時は家主もいないし、誰にも気使わなくていいし、仕事も適当にやれるしで「きゃっほーい」とか「気楽だわー」とか思ってたのですが、会話する相手がいないので段々発狂しそうになるぐらいに、自分の精神がおかしくなりそうな気分になりました。

よく「将来は誰にも会わずに、自宅でパソコン一つだけで仕事できるような環境を構築したい」(あるいはノマドのような生活がしたい)とか前は思ったものですが、もし実現出来たとしても、人と会わないような環境なら、全然やってても楽しくないし、精神衛生上宜しくないんじゃないかって最近思います。

今「仕事をしてる関係で出会う嫌な人達(上司なりお客さんなり)と金輪際会わないために自宅で仕事が出来るようにしたい」みたいな感じで考えてる人もいるかと思うのですが、それはそれで独立していくための大事なモチベになるから別に文句つけるわけじゃないですが、自分が今後自宅で生計立てるSOHO系(ないしはノマド)を目指すなら、人と会わないために自宅で仕事が出来るようになるのを目指すんじゃなくて、自分が会いたい人と会う、もしくは自分に好意的に会いに来てくれるような環境を構築していく方がいいんじゃないかって思います。

そうじゃないと結局そこで出会う人は嫌な人達ではないにせよ、楽しくもワクワクもしないだろうし、「自宅で仕事」だけをモチベにしてると、仕事が楽しいとか、理念とか、人を引き寄せる要素がなく、全く人が寄ってこない可能性とかもありそうですし、自給なんぼのネットランサーみたいな請負仕事だけしてる場合はよほどのスキルがなければ世界賃金のフラット化にともなってどんどんジリ貧になっていきそうです。

このSOHO系で身近で成功してる例だとシドニーのAPLAC田村さんなんか共通属性を持った同じ波長を持つ人達が海の向こうから会いに来てくれるような環境で人と会うたびに楽しいだろうし、NZで以前に訪ねたこちらのKiwiのご一家も山奥で電気も通してないオフグリッド生活で、もはや文明に背を向けた生活してるのですが、記事中でも書いたようにこの場所が人が集まる拠点のような感じになってて、家主のやってることに共感する人達が基本会いにくるし、あとタスマニアにいた時にHelpx使って滞在していた陶磁器アーティスト夫妻も基本は自宅で仕事してるわけですが、ここもこのアーティスト夫妻に興味を持ってる人達が向こうからやって来てくれる環境だから、毎日楽しいんだと思います。

だから「自宅でパソコン一つ」つっても、それが先行する形じゃない方が、会いたい人に会えるようになって楽しいのかなーと妄想してます。

容赦ない英語動画とその対処

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オークランドCBD内夜景 Huaweiタワーより

今勤めてる会社では半年毎に社内で表彰イベントみたいなんがありまして、お決まりのようにイベント後にワイワイ酒盛りやったりするのですが、この動画はその時の様子の一部を映したものです。

動画を撮ったのは自分じゃなくて同僚の誰かが撮った動画が会社のWhatsupグループ内で共有されてたのですが、この動画はかなり自分が英語で普段打ちのめされてる感じの雰囲気に近いものだと思ったので勝手に拝借しました。

もう嘘偽りのない生の超ハードな現場英語。動画を見たら分かるのですが、カジュアル口語感が半端ないから早くて聞き取りがかなり難しいです(後半はワーキャー言ってるだけだけど)。

ただそもそもの動画の前後の文脈が分からないから、仮に英語が聞き取れても状況理解ができないかと思いますが(シャンペンぶっ放して楽しそうなのとかは分かるけど)、自分がいつも恐怖におののいて、「分からんわ、とほほ」と打ちのめされてる”リアル感”のあるものをお届けしたく紹介してるのもあります。

ちなみに自分はこういうクソ早い英語とか何喋ってるか分からん場面に出くわした時は、最近はもうひたすらに諦めてます。だってどれだけあがいても分からないものは分からないすからね。

でも仏頂面でずっといるわけにもいかないからとりあえず微笑んでるか、スマホイジるか、あまりにも苦しければその場を立ち去ったり、誰か他に話しかけられそうな人を探したりとかしてやり過ごしますが、因みになんで諦めれるようになったかと言うと、ちゃんとフォーマルな英語とか表現知っていく方が大事だなーと思うのと同時に、「自分がいるべき場所にいるとは思わないから」ってのもあります。

というのも仮にこれが自分の好きな趣味の人達の集まりというシチュエーション(例えばバンド仲間とかが好きな音楽の事喋ってるとか、オタク同士が好きな漫画の事喋ってるとか)だったら、自分が好きな話題が喋られてるからある程度予測もし易いし、言葉以上に共通の趣味があってお互いの波長が合致し易くなるから仲良くなりやすくて、相手も自分に対して好意的になってくれやすいからもっともっと自分はリラックスした状態になれるし、自分らしく振る舞えてもっとチャーミングな自分が出せるから自然に笑顔も多くなって、どんどん英語が分かるようになっていくと思います。

ただ動画にあるシチュエーションって、単なる会社の飲み会であって、趣味嗜好もてんでバラバラな奴らの集まりだしで、シチュエーションがあまりにジェネラル過ぎて自分にとっては共通事項も少なくて、自分の何か得意分野で勝負してるような環境じゃないから、今の自分の英語力だと誰かが喋ってる内容もイマイチよく分からんし、喋れんし、無力感半端ないしで、全然楽しくないです。

だからどうせネイティブの中に入っていくなら、ある程度自分の趣味とか強みを活かせるシチュエーションで鍛えたりとか、ネイティブにヘルプしてもらえるような人間になる環境(例えばネイティブ、あるいは英語が達者な彼氏彼女に助けてもらう)とか作って、自分でも知ってることが多いとか、楽しめるような状況を数多く作っていくのが一番いいように思ったりします。

Pathfinder創刊/何で仕事がつまらんのか

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やや旧聞気味ですが、Pathfinderという本が先日無事に創刊されまして、日本の書店で売り出されました。

このPathfinderは何を隠そう自分も著者の一人として創刊に寄与しておりまして、数年前にシドニーでお世話になりましたAplacの田村さんを始め、このブログでもリンクしている博士棒ブログの菊川みよ子さん、それから現在三重県で塾講師として活動している渡辺絢也君と共に共著者として執筆する機会を頂くことができました。

元々この話しは日本の出版業界で働いていた出井さん(井出さんと間違えがちなので名前の覚え方は「イニシャルD」と覚えればいいらしい)というプロの編集者の方とAPLACを通じて知り合う機会があったのがきっかけだったのですが、より本物志向をテーマに海外生活や英語における生の声(英語幻想みたいなんはなく地味でつらいとか)を届けるために一執筆者として自分にお声がけ頂きまして、自分の場合はこれまでオーストラリアとNZで体験してきたWWOOFをメインテーマにして執筆させて頂いたのですが、このような形で自分の体験してきたことがよもや本になって世に出るようになったことが今でも不思議でしょうがないです。

気になる中身は本を購入して下さいということにはなりますが、奈良県大和郡山の書店「とほん」さんではオンラインでも購入可能なようなので気になる方がいれば是非購入して読んで頂きたいです。

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このPathfinderの執筆には約1ヶ月半ぐらい自分は時間がかかったのですが、時間をかけて当時体験したことを深く思い返したり当時の心境なんかを思い出して自分自身で深く自分が体験したことを追体験したお陰なのか、その副作用ではないですが執筆中〜後において自分の仕事に対する心持ちみたいなものにかなり影響がありました。

というのも自分の執筆テーマの中に「働く事とは何だ」みたいなものが含まれておりまして、この執筆で当時の心境を思い出せば思い出すほどに今している仕事の空虚さや意義のなさのようなものを感じてしまい、しばらく魂の抜けた殻のように仕事をしている時期がありました。

要するに今やってる仕事がクソつまらなくなってしまいました

もともとそんな高度でプロフェッショナルな仕事をしてるわけじゃないから、もともとの性質としてつまらん類のものではあるのですが、それがさらにつまらくなった。

当時体験したことは本に書いたのでここではあまり深くは書けないですが、端的に言うと人の役に立てているか立ててないか、自分の存在価値を認めてもらえるかどうかみたいなところが関連してて、世の中働いてる人間なら誰しも思うところだとは思うのですが、今の仕事に関して言うならその要素が限りなく少ないがために、今回の執筆によって自分の心の奥底にしまわれていた当時形作られた価値観と今の仕事とが結びついてしまったものだから余計に意味の無さみたいなのが浮き出てきしまいました。

だからその時期というのは本当に身が入らなくて、「あー何で俺はこんな意味のないことをやってるんだ」と毎日思ってて、お客さんと会話してても「よくこんな電話取って会話するよなー」とか、上司を見てても「何が面白くてこんなことやってるんだろう」とか邪念が入りまくってました。

これはでもまだ対処法はあって、要はその結びついているリンクを再び切断してあげればいいだけで、人の役に立つとか自分の存在価値があまりないような仕事ならそれはそれでマシンのように働いて、そこで働く目的(自分の場合はビザの取得)を達成するために働けばいいだけ、と思うことで無意味なものを意味のあるものにしてしまえばいい。

あと「こういう風に対処しました」というノウハウを書くことでもしかすると誰かの役に立つかもしれないという、まるでスピンオフのような効果もあるかもしれないですし、どれだけ人の役に立つ要素が少ないと言っても、どんな仕事にもその仕事に携わって一所懸命になって結果を出そうとした人の知恵だったりテクニックだったり、考え方というのはこの世の中の同じような仕事や境遇にある誰かの役に必ず立つものだと思うので、逆にそう思うことで今の仕事をやる意義も出てきたりしました。

でもこれも自分の中でせめぎ合いのように、とある日は普通に働けるんだけど、とある日はまた意味の無さに襲われてやる気なくして、、みたいに毎日毎日自分の中でなんとかモチベを保とうと格闘してたりするのが現実だったりしますが。

最近の雑感

Circular Quay日没前後
シドニーの夕暮れ時のサーキュラーキーにて

最近いろいろ思うところがあってその心境を吐露する媒体・手段としてブログを更新してます。

というのもブログを始めた頃のようにPVを集めるとか、所謂ブログ運営のようなものを気にしててもどうせ誰もしばらく見る事なんかないだろうから、その代わりにしばらくはその時自分が思ったこと、感じたことをそのまんま書いていくような自分の心の浄化作用代わりに心境を吐き出すツール機能としてしばらくはこのブログを使っていこうと思います。

最初ブログを始めた時はネットを漁ってブログの書き方とか、その道を先行するブロガーのイケダハヤトの本とかkindleで買って参考にしたりして、タイトルは最初に決めて書いていく方がいいとか、顧客視点を取り入れて読者の求めることをネタにしたりだとか、最後はちゃんとオチやらストンと収まるところに収まるように書いていくようにしてたのですが、

事実を捻じ曲げるとまではいかないまでも「ほんとはそうじゃないんだけど敢えて肯定的に書かないと文章の整合性がなくなる」ということで多少思ってることとは違う意図のことを書いたりとかして、本当の内なる自分と向き合ってないような感じになってしまいそうになるしで、

「とにかく量を書け」というイケハヤのアドバイスはもっともな部分だとは思ったのですが、情報系とかハウツー系とかお役立ち系でもないどうせ誰も見てない自分のようなただ単なる個人ブログだったら、雑感がてらもうオチもないし、その時思ったことを書いていったり割りと自分の恥部のようなことも明け透けに語っていく方が読んでても面白いのかなと思います。

人によっては全然恥部でもなんでもないやんっていう思春期の中学生とかが思いそうなことを書いてたりもするのですが、それはそれで自分にとっては恥部だったりもするのでやっぱり恥部なんかなと思ったりしますが、そんな難しいことなんてそもそも書けないし、書いたところでボロが出るだけだしで、

それだったら一人の男という人間としての悩みだったり、日本という国で生まれ育った海外童貞の一人の男が海外にやって来てこの目で見た見聞録とまではいかないまでも、リアルな実相というのか、海外つっても全然カッコよくもなんでもないし、モテることもなければ、人からちやほやなんてされないし、英語を使った仕事なんてのもいざネイティブに囲まれて何か議論でもしようもんなら、分からなさ過ぎて自分がまるで手のひらで転がされてるような存在価値が否定されかねないトラウマのような経験も何度もするし、

特に男は生まれ育った社会では女性よりも優位な立場にいる事が多い分英語が出来ないだけで無力感とか半端なく感じたりするしで、自分が素直に見て感じて思ったありのままの出来るだけ生の情報を伝えようと思ったらどうしても明け透けに語る必要は出て来るし、恥部みたいなところも出していかないと伝わらないのかなとも思います。

でもそういうトラウマ的経験だったり、単に英語が出来ないとか、こないだ書いたモテないという記事にしても「やっぱ自分なんてそんなもんだよね」で済ませて、自分の可能性を閉ざしていくつもりはてんでなくて、自分の至らぬところを見つめ直して改善していくことで明るい未来に繋がるという確信があるからこそこんな呑気に一般公開のブログにしたためられるのであって、

ほんとに思い詰めてたりなんかしたら誰にも言えないだろうし、かつての自分のように一人で思い詰めて精神病んじゃう危険もあるだろうから、こんな感じでちゃらんぽらんにまだまだ可愛げのある恥部のようなものをさらけ出すなんて実はそんな大したことでもないんじゃないかと思ったりします。

なんならこの手の恥部だったら、特にあてもなくつらつらと書いてることが実は世界のどこかの誰かのカタルシスの役に立ってたり、カタルシスとまではいかないまでもちょっとホッとしてもらえたり共感してもらえたりするだけで全然良いわけです。

スティーブ・ジョブズ(だっけ?)が確か「顧客は自分が欲しいものは顧客自身は実は分かってない」ということを言ってたような気がしますが、ものの本に書かれてるような顧客視点を持ってブログを書けというのもその通りだとは思うのですが、あえてそんなのは無視して自分の主義主張・価値観のようなものをありのままに一方通行的に伝えていけば少ないながらも「俺/私も分かるよ」的に共感や同調してくれる人がいるのかなと思うと、世の中の声のようなものをある程度無視していく方が、自分のメッセージがたどり着いてほしい人に辿り着いてくれるのかなとも思ったりします。

別に商業的成功とか求めてないし、エラくなりたいとか、金がこんもり欲しいとかもそこまでない代わりに個の人間として考えを押し出していきたいというのは結構あって、それを届けようと思ったらやっぱ恥部は丸々でなくてもある程度は出していかんといかんのかなーと思ったり。

これもどの程度出していけばいいかなんて考え出すとまた自分を押し殺してしま
いそうになるしで難しいところですが、少なくともこういうスタイルの方が自分らしくあれるし、書いてる本人が実は一番気持ちよくなってたりするのでしばらくこんな感じで別に何かの正解に辿り着くとかせずに終わっていくのがいいのかもと思ったりする今日この頃です。

今を生きる

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「今」という瞬間がごくごく当たり前に存在してしまうものだからついついその瞬間が何でもない日常の一コマとなってしまう。

今この瞬間に起こっていることはほんの数秒後の未来には頭の中でしか再生できない思い出となる。

くだらないことを言って笑ってる瞬間、他愛もないことを話している瞬間、笑顔で挨拶している瞬間。

未来に思い出して懐かしくなることが出来るのと同時に、もう二度とその瞬間が訪れないことが悲しい。

人は世間体や見た目、周りの目や恥ずかしさ、面倒くささや疲れを言い訳にして行動を自制してしまうことがある。

でももし今を生きる自分の周りに悲しそうな表情をした人がいたら、もし今不遇な瞬間を送っている人がいたら、彼ら彼女らにちゃんと手を差し伸べてあげられているか。

その時ほんの一言声をかけてあげるだけでいい。

その時ほんの少し彼らに寄り添って話しを聞いてあげるだけでいい。

自分が生きる今この瞬間はもう二度と訪れない。

出来ることをしなかった、下らない目を気にしてやらなかったことを思うと悔やんでも悔やみきれない。

いつも当たり前のように話しかけてきてくれる人がどれだけ貴重な存在か、いつもそこにある楽しい笑顔がどれだけ貴重な光景か、今この瞬間を生きる自分という存在に接してくれる人にきちんと応えてあげられているか。

ずっと当たり前だったことが当たり前でなくなる時。

今という瞬間を疎かにしたことで後悔が訪れる。

自分の人生の中でほんの僅かな時間だったけどたまたま同じ場所で働き、共に笑い、共に話す時間を共有して交わった時間がどれだけ貴重なものだったか。

いつも自分ばかり苦労していると思ってやしないか。

いつも自分は英語が出来ないからと言って他人が差し出した好意を無碍にしてやしないか。

こんな未熟な人間に好意的に接してくれる人らの好意にきちんと応えていられるか。

今を生きることは未来を生きること。

今を大切にすれば素晴らしい未来になる。

自分に合った仕事と今後の展望

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オークランド西部のPihaビーチ

かれこれ来月7月で今の会社で働き始めて丸2年が経過することになりますが、いまっだに英語が分からん。

一応2年も働いてれば業務を遂行していく上でのやるべきことは分かってるから何とかなりますけど、勿論オフィスで一人で仕事やってるわけじゃないから同僚とか他人との絡みが結構辛い。

自分は業務上日本語と英語の両方使うのですが、日本語脳になって考えてる時間が結構多いので、誰かが英語で世間話とかしてるのが「スッーと」日本語のように自然に耳に入ってこないもんだから、いつも話しについていけてないし、知らない間に周りの人間は何かの話題で盛り上がってたりするし、たまに会話の内容についていけたとしても肝心のオチの部分が聞き取れなくて自分以外のみんなが爆笑してたりするから、一応笑顔にはなっておこうとか思うんだけど心の底から笑ってないから、多分恐ろしいぐらいに笑顔は引きつってるんじゃないかって思います。

あと会議とかプレゼンで人が発言してる内容を全部聞き取って理解できない事も結構あるから、そういう時はリアルタイムでついていけなくて「今何て言ったんだ!?」「今こういうことを言ってるのか!?」とかいちいち半信半疑のまま聞いてたら状況理解だけで脳内CPUが占領されて建設的な意見を出すところまでなんていかないし、他のアジア系を含む同僚は滞りなくスムースに議論に入って意見闊達にやり取りしてるのを傍から見てると、自分が何の役にもたたないただの置物みたいな感覚になってくるしで、自分の英語力はあとどれぐらい向上すればもっとスムースに理解できて、もっと楽になれるんだろうと毎回思ってます。

なんかこんな境遇(自分一人だけの英語が下手くそで他の人間は特に問題がない)に身をずっと置いてるとかなり自信もなくなってきて、英語が上手く聞き取れない、喋れない、理解できないことへの恐怖感と劣等感から元からない積極性がさらになくなってくるし、そうなるともはや人の話を理解したり、他人と交流するのも英語が下手くそだという負い目で気が引けて自分の殻に閉じこもって黙々と作業をしてしまったりする日も結構あったりします。

いかんせん最近は自分の中の劣等感がヒドイ。

5年前にオーストラリア行く前は英語を使った仕事でもできればなー、とか思ってたんですが、がっつり英語環境過ぎると分からない時はマジで辛いし、下手すると人によってはトラウマになりかねん。

思うに自分という人間は言語に関係なく如才のなさがあるわけでもなければ、不器用な性分だから上手く組織の中で立ち回って人と無理なくやっていく技術があるわけでもないので、そもそもいる場所を間違えてるような気がしないでもない。

今の仕事って何かの特殊技術ではなくて、ゼネラル部分がそこそこ重要だったりするので、言葉も不得手だし不器用だしゼネラリストの対極にいるような自分みたいな人間は腕一本で世の中渡っていけるような技術を身につけることでスペシャリスト化して自信をつけて生き残っていくのが一番良いように思う。

あと個人的に30代後半から40才ぐらいまでにオーストラリアかNZで永住権を取りたいという人生上の目標があったりするので、こんな不向きな仕事をしながらビザ取得を目指してしまうのも、「ビザを取る」という戦略上効率的だとは思わないし、今後のメシのタネとなる技術を磨くことも出来ないしで、残りあと労働ビザが2年半ぐらい残ってはいるのですが、こういう環境に身をおいていろいろ考えさせられてることもあって最近は激しく次の展開を見極めようと頭の中こねくり回してます。

まあ伝統的な日本の職場環境と比較すれば、英語こそ分からないけれど、今の職場の同僚はみんな良い奴らばっかで基本的に人間関係におけるストレスはないし、ネチネチしたやつもいなければ、日本のサラリーマンのムカつく上司とか、軍隊的にやたら精神指導してくるような人と毎日顔を突き合せないといけない胃のキリキリする感じもないし、上司が帰るまで帰っちゃいけないとかいうbullshitな暗黙の了解なんて勿論ないし、学校に来るかのようにその種のストレスの負担がなくてめちゃくちゃ有り難い環境に身を置いてたりするわけなので、何を文句垂れることがあるかという感じではあるんですよね。

ただ今後自分がこっちで生き残っていくことを考えると、オフィスワーク系の仕事はやっぱ自分には向いてないし、そもそも言語的にハンデあるし、向いてないと思うものをやり続けても転職市場で自分に優位性が出てくるとは思わないし、何より今後AIの隆盛で旨味のある仕事が減っていったり、ゼネラルスキルと言っても相対的評価だからオフィスワークを続ければ続けるほどに未来に不安が募ってくるし、何より自分の不器用さや職人気質的な性格、それから全然分からんとは言いつつも現場職だったらそれなりに理解できるであろう英語力を備えていることを考えると、やっぱ何かの手に職系でやっていくのが一番自分は活きてくるんだろうなと思います。

それが何になるかが分からんのがまた問題だったりはしますが。

モテること(3)

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オークランドNorth HeadからのCBDの景色

つらつらと書いてるこのモテることというのは単に異性との交遊目的のみならず、あらゆる好影響をもたらすもんだとモテる人間を見ていて強く思います。

正直性格面で問題ありの自分はこれまでモテてきた経験ことなんかないし、(今思えばアプローチ受けてることに気づいてなかったというのもありますが、それに気づかないのも経験不足から生じる鈍感さが要因だった)、あまつさえ見た目的にも言語的にも総じて劣る海外に来れば何をかいわんや的な状況であって、でもそんな中でも自分の可能性を信じてるし、「他人がモテて自分がモテないはずはない」というセルフエスティームの高さだけを武器にこないだからジムに行き始めて、重い鉄の塊を上げ下げしてる時は「コノヤロー絶対モテてやる!!」とか心の中で言いながらやってます。

正直なところ海外来てからも、今の会社でもそうですが自分ってマジでイケてないです。

会社の中の全員がそうではないですが、ガタイの良い奴は多いし、人間的にも良い奴らが多いし、楽しいことは楽しいと感じる感受性豊かな奴らが多くて、そんな奴らの中に囲まれてメガネかけてサラリーマンぽい髪型して何だったらちょっとひねくれてるから感情もちゃんと表現できなくて黙々と仕事してる自分が情けなくなってくるぐらいに、生物としての魅力のなさが浮き彫りになってきます。

だからモテたいというわけではないですが、リア充とか自尊心とか他人の価値観に重きを置いた観点からではなくて、モテることの効用を考えてみた場合に絶対にモテた方が人生は豊かになると思えるというのもあります。

モテる奴らは人間関係構築能力に秀でると(2)で書いたのですが、そういう人らは大体において人との接触が絶えなかったりするから、常に人に囲まれて元々秀でる人間同士の機微にさらに秀でるようになるし、自分に対しては好意的に接してくれる人ばかりだから精神的にも満たされていきます。

友達が多い=人間的に価値があると言ってるのではなく、性別関係なく人から好意的に接してもらえるような自分になる=モテるようになるということは心的な弾性を生んで精神的充足感が生じますし毎日が楽しくなって自然と相手に対しても懐の深さみたいなものが出てきてそれが好循環になってまた人から好意的に対応してもらえるようになるんだと思います

人によってはそういうリア充みたいなやつに嫉妬してしまう人間が出てきてそういう奴らに悩まされたりする可能性もあるかもしれず、良いことばかりではないかもしれないですが、自分も何を隠そうそういう嫉妬する側の人間の一人であった(今もそういう瞬間がないわけじゃないけど程度としては大分弱まった)わけで、素直に感動出来なかったり、人がやたら楽しそうにしてるのを見てると「つまんねーことではしゃいでんじゃねえよ」とか思ってたタチがあるので自分も前科者です。

なんでそういう精神状態になるかというと、そもそも精神的に満たされた経験がないから人が無闇矢鱈に楽しくなってしまう精神状態があることを知らないから、そういう人達を見てると「バカ」みたいに見えるし、どこか斜めに物事を切って自分は特別だから他のバカ共とは違うクールなやつなのだという中二病的な精神状態になってしまってたりするからだと思います(多分に自分を振り返ってみてそう思う)。

逆に満たされた人というのは自分に余裕があって追い込まれてないから心の弾性が豊かになってるので世の中にある物事の何を見ても感動したりするし、小さな出来事でも幸せになることが出来ますし、自分が満たされてるから他人に対して優しくなれるし、とにかく楽しく過ごそうというポジティブな精神状態になるという効用があって、大体において何をするにも他人から好意的に接してもらえるようになって、それがまた今度自分が他人に接する時に繰り返されて、、という感じでモテるっていうのはつまり幸せが幸せを呼ぶような好循環なサイクルが生まれるのが最大の効用なんじゃないかと思ってます。

勿論モテるようになればモテる人の悩みみたいなのは大小あるでしょうし、自分がそういう状態になったことはないのであくまでこの2年ぐらいモテる人の人間観察してたら「たぶんそういうことなんかな」という風に思いながら書いたのですが、まあもし本質が喝破できてなかったとしても見た目がよくなることはモテることへの第一歩ですし、百徳あって1−2害ぐらいしかないでしょうからまあ気にしないでもいいでしょう。

モテること(2)

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先日ホリデーで訪れたフィリピン。青い空と白い雲の映え具合が南国っぽい


デキる営業マンって概してモテる人間が多いんじゃないかって勝手に思ったりしてます。

うちの会社を例に出してみても営業成績が良かったりする人間って人との人間関係構築能力に他人より秀でたりする印象です。

人間関係構築能力に秀でる=「人間の機微を瞬時に捉えてその時どういう事を言えば、あるいはどういう風な言動を取れば物事が良い方向に進むかを的確に判断して実践していくことが可能な能力」と言い換えてもいいと思うのですが、そういう人達は異性へのアプローチが上手で、異性との最初の出会いにおいて相手がまず持っているであろう心理的な壁を瞬時に取り払ってしまう術を知っているし、異性への理解と異性が今求めていることを的確に掴んでいけるので相手と気を許した関係を構築していくことが非常に上手なためにモテることに繋がってるんだと思います(勿論相応の見た目や清潔感などがあるのは当然)。

これは異性のみならず同性にもあてはまることで(同性愛系の話しじゃなく)、同性ともすぐに壁を取り払って仲良くなったりすることができるので友人関係も幅広いし、いろんな年代の人間と付き合えるような人達が営業成績が良い人達には多いように思います(勝手に思ってるだけですけどでも大体当てはまってるような気はする)。

今の自分の仕事は外勤営業とまだ自分が担当する会社の製品を知らない見込みのお客さんとの間を取り持つ役割で、昔ながらの売り込み営業というよりは提案型営業(お客さんの課題や要望を聞き出した上で提案していくこと)なのですが、腰だめの数字ですけど大体7から8割ぐらいのお客さんは自分が担当する会社の製品のことなんて知らないです。

そんな状態でいきなり電話して「商談どうですか?」なんていきなり言っても相手は心理的な壁があって構えてしまってる状態なので、話しを聞こうなんて姿勢にはならないからまずは彼らの壁を取り払っていかないといけないわけですが、ここで成績が良い人達というのはすぐに相手がそういう状態にあると判断するとその機微を察してまずは壁を取り払うためにその場を和ませるようなことを言ったりして相手の気を許していくことが抜群に上手かったりします。

相手が壁さえ取り払ってこちらに気さえ許してくれれば後はもう雪崩をうったように自社における課題だったりだとか要望だったりだとかを言ってくれたりすることが多いです(全部が全部そうじゃないですがそうなる傾向が強い)。

なので営業とは言えどやってることは商品の売り込みというよりも、「相手の気をどれだけ許してあげられるか」が営業成績を良くしていく勝負どころみたいな感じです

逆にビジネスだからということで相手に粗相がないように懇切丁寧に対応したとしても逆に相手側の感じる壁をさらに高くするだけで気を許すどころの話しじゃないので全くの逆効果だったりします(最初の自分がそんな感じだった)。

人間の僅かな機微も見逃さない能力というのはある程度才能みたいな部分もあるかと思うのですが、当然ながら机上の勉強で習得なんか出来るものじゃなくて、そういう人達はどこで学んできたのかと想像するに学生時代ぐらいから先輩とか目上の人に元々可愛がられたりする要素を持ってて、同級生なり後輩だったりだとかからもいい感じでイジられる愛されキャラのような感じの人間であり、そういう人達と良好な人間関係を築いてくる過程の中で相手が今何を求めて、どういう風に感じて、次に言うべきことやなすべきことを瞬時に判断してお互いの関係性を良好なものにしていくための人間同士の機微を学んできた賜物なんだと思います。

だから彼らはその道のエリートなわけで、真似しようと思ってもなかなか出来るもんじゃなく、それは咄嗟の切り返しだったり、如才のなさだったりとその場の対応における頭の回転の早さにも現れてくることからも長年培ってきた技術のようなものなんかなと思います。

なので今の営業の仕事も学生時代の延長みたいな感じで、先輩と後輩が喋ってるように「いやー最近どうすか?」「そんなんいきなり言っても知るかっつう話しですよねー、ははっ」みたいな軽い感じの方がむしろ相手側もリラックス出来たりするもんです。

こちらの記事で少し触れたのですが、英語圏(というか何処行ってもそうでしょうけど)で特殊技術じゃなくて自分が持ってるジェネラル部分のみで頑張っていこうとするとただ単に圧倒的に英語が出来るようになったとしてもそれだけじゃきついものがあって、やっぱ会話の中における切り返しだったり、咄嗟の雑談能力だったり、ちゃんと人を愛し愛される人間になっていくようなことが重要だったりすると思うわけですが、こと自分は一番弱い部分であり常々頭を悩ませている部分だったりします。

まあ自分が面白い面白くない人間という以前に英語そのものが出来んのですけど、ただそれが言い訳にならない場面というのもままあってもっと切り返しが上手だったり、面白い発想が瞬時に出てきたりすればもっといい感じで過ごせてたシチュエーションというのもあるわけですがてんでダメダメです。

それは学生自分友達の数も少なくて勿論クラスの人気者でもない
し、異性からモテてきたわけでもなく相手と距離を取り続けるような人間関係を続けてきた影響で対人関係における機微だったりを学んでこなかったせいもあって全然鍛えられてないのですね。

だからこの仕事始めた最初の方もお客さんが構えた状態のまんま自分がずんずん話しを進めちゃう(相手が今どう思ってるかというのが全然見えてなかった)ものだから相手に全然興味なんか持ってもらえないし成績自体ほんとにうだつの上がらんものでした。

今も決して上手じゃなくて大分マシにはなったと思いますが、相手の求めることを瞬時に理解したり、お互いの関係性を良い感じの雰囲気にしていくだけの如才のなさだったりと数多くの人間と良好な関係を築いていく=モテるようになっていくにはまだまだやらないといけないことが山積みではあります。

モテること(1)

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どんな人の人生にも3回は訪れるというモテ期なるものがあるらしいのですが、その回数の真偽はさておいて、未だに一度もモテ期なるものが訪れたことがない自分にとっては得たいのしれない未知の世界です。

そんな未知の世界を自分の手で手繰り寄せるべく最近は引きこもり生活から脱して休みの日はMeet Up使って何かしらの集まりに参加したり、夜は夜でイケてるねーチャン、にーチャンが跋扈するナイトクラブに繰り出してみたりするんですが、まーマジで俺ってダッセーなと強く思います。

ナイトクラブに行ってみて思うのが、当たり前ですけど見た目の良い奴らが集まってまして、超絶的なイケメンやアイドル達ではないにせよ、体つきはいいし、着こなしもかっこいいしで異性を惹きつけるオーラが出まくってる奴らばっかです。

そんなイケイケ集団の中に自分みたいなダサい恰好の見た目をした、体つきも腹だけ出ててガタイに劣る(背だけは高いけど筋肉がない)ような人間が入れば劣等感というものに襲われて、異性に近づいても相手にされないかもしれない、という不安が生まれるし戦う前から既に負ける、という戦を行う上で最大の過ち(戦意喪失)を犯してしまってるわけです。

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ナイトクラブにて

人ってのは見た目じゃなくて中身だよというのを信じてきた自分ではありますが、やっぱ見た目が良いに越したことはないです。

例としてナイトクラブというナンパ即セックス系の典型のようなシチュエーションを例に出してしまいましたが、そうじゃない普段の出会いの場面においても相手に好印象を持ってもらえるだけの見た目もそうですし、自分自身が相手にアプローチをかけれるぐらいの自信を持ってるかどうかも超重要だと思うわけです。

男女の関係において大体は男の方からアプローチを最初にかけていくことが大半だと思いますが、たとえ一つのアプローチが上手くいかなかったとしても自分に自信があることで少なくとも出会いを多くするために積極的に出会いの場に行こうとするようになって次の機会が訪れやすくなるし、行動を起こす機会が増えることで絶対的なチャンスの数が増える

これが見た目にも自信がないと下手な鉄砲数撃ちゃといえどもそもそもの弾数が少なくなるから、余計に命中率が悪くなるという悪循環に陥る。


以前の記事で平均の法則(The Law of Averages)という考え方を紹介しましたが、チャンスを多く生み出してトライして、改善して、またそれを活かして、、というマーケティングのPDCAを回していくようにチャンスさえ増やして、異性にトライする機会を多くすることが出来れば、あとは平均の法則に則って命中率は必然的に高くなる(はず)。

この理論を早速実践すべく数週間前からジムとプールに通いだして身体を絞りつつ鍛え始めましたのですが、身体を鍛えるのは見た目を改善して自信をつけることもそうですが、こっちでビザを狙う場合において婚活して現地の人と恋に落ちて永住ビザを取る人もそれなりにいるという事実を考慮してみると、一見この不純な動機のように思えるジム通いも立派なビザ取得戦略の一つになります笑。

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