ウーフは宝探しに近い

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ウーフ(あるいはヘルペックス)を通して10軒以上もの場所を酔狂のように訪ねていると途中からウーフって名前だけで実際は宝探しに近いものだなと思うようになりました。
ウーフ(WWOOF)はWilling Worker On Organic FarmあるいはWorld-Wide Opportunities on Organic Farmの頭文字を取った略称らしいですが、実態はオーガニックじゃないとこもあるしそもそも農場じゃないところもあるしで名前に則してない場所もかなりあります。
オーストラリア国内におけるホストの数はざっと見積もっても2000軒以上はありそうで、今手元にウーフ本がないので分からないですが確か400ページ以上に渡ってホストの連絡先が載ってるはずなので、大体1ページあたり5〜6軒程度載ってるとすると単純計算で5〜6×400ページ=2000〜2400軒程。
2000軒以上も載ってるわけなのでウーフやり始めた時に誰もが思うのが「数が多すぎてどこにしたらいいか分からん!」という事だと思います。
ダーウィンという場所にいた時に一日10時間ぐらい働く代わりにセカンドビザを1ヶ月で取らせるというババ抜きで言うババのような場所に一瞬だけ行った事ありますが、2000軒以上も数があればそういうアコギのような場所にあたる可能性もある一方で、自分の価値観や人生観そのものを変えてくれるような場所もありますのでまさに宝探し。
自分は不思議(必然?)と大体6〜7軒を超えた時点ぐらいで良いなと思えるホストに出会えるようになりましたが、最終的には自分の直感を信じて実際に行ってみる以外確認のしようはないので行ってみないと分からない事の方が大半です。
だから最初は食わず嫌いせずに数を回ってみればその過程で自分が好きなもの、波長の合いそうな人、好きな景色や生活スタイルなど好き嫌いが削ぎ落とされていきます。
その上である時自分が求めるどんぴしゃな場所に出会ったりするのですがその時がお宝に出会う時です。数回って見つけたお宝に出会えた時はきっとあなたの人生に好影響を与えてくれると思います。自分は少なくともそうでしたし、これからウーフやらヘルペックスをやろうと考えている人には数を回ってみて自分だけのお宝を探し当ててほしいですね。

壁のない場所に住む人達に出会って(4)〜結局は人次第〜

この場所のホスト夫妻とは毎晩暖炉の火を見つめながら語り合いました。

前回記事で書きましたが周囲に雑音もなく、ゆらゆら動く炎を見ながら圧倒的に何もない大自然の中で語り合う時間というのは何よりも代えがたい一時でした。

ホストのご友人でHannah Rachel Bellさんというフェミニストとして活動されてる方も一緒の時期に滞在してたんですが、この方と一緒に過ごしたというのもこの場所での生活が充実したものの一つの大きな要因でした。

アボリジニと長く一緒に生活した話や、男女における考え方の違い、たまにあるジョークがいちいち面白くて話しているのが凄く楽しい方でした。でも子供っぽい一面もあってIpadのゲームアプリで高得点を叩きだしたらはしゃぐように喜んだり、「デザート欲しい人はいる?」っていう確認があれば「My hands up!」とか言って手を上げたり。

Hannahさんはmotor neuron disease(ALSとかその種の)難病で車いす生活でしたがそんな事も感じさせない力強さもありました。会った自分にしか分かりませんがハンデなんかないような雰囲気も尊敬すべき部分でした。

Hannahさんとまたお会いできるかは分かりませんがホスト夫妻とはいずれまた会うと思います。信用できたり、波長が合ったり、刺激的な人っていつどこにいても会いたいって思わせてくれますよね。自分は「帰れる場所」じゃないですけどまた会いたいなと思える人がオーストラリアにできた事は最高の財産だと考えてます。結局世の中全部人次第なんかなと

写真は別れ際。ホスト夫妻を両脇に中央にHannahさん
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壁のない場所に住む人達に出会って(3)〜自然と一体化する〜

1つ目、2つ目のエントリーの中で写真を何枚か載せてましてお察し頂けるかもしれませんがとにかく生活スタイルがシンプルです。

本当に必要最低限のものしかありませんでしたし、半径数キロ以上に渡って周囲に住んでる人は誰一人いませんでした(無人の家はありましたが)。
別にそれで困る事は個人的にありませんでしたし、逆に何もなさ過ぎるのが良かったとも言えます。

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全部敷地内から見える景色です。

こういう風景を見ているだけでも十分に楽しめるのですが、自分が一番楽しみだったのは毎晩日没後に訪れる圧倒的なまでの暗闇と静寂の時間でした。実際は星空が空を埋め尽くしてますので全然暗闇ではないんですが、ここで意味するのは一切の人工物の明かりがない事を言います。 

こっち(オーストラリア)の星空は半端なくて、 オーストラリア国内を旅した方には共感頂けるかと思いますが、ミルキーウェイ(星雲)なんか本当に文字通り白濁した牛乳が川のように夜空を横切ってます。今まではどれだけ田舎に行っても街灯や生活灯はありましたので星空の光を邪魔する人工物の光がないとなれば何をかいわんやです。

この場所に来て最初の一週間ぐらいはただ単に星空を眺めているだけだったんですが、段々それだけでは飽きたらなくなってきて、わざわざswag(以下写真参照)と呼ばれるテントをホストからお借りして、顔を覆っている部分だけ開けて星空を眺めていました。

swag
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顔だけ出して星を眺めていると顔を寒風が横切るんですが、首から下は温かい毛布に覆われてますので寒気持ちいいんです。また耳に届くのは夜鳥の鳴き声や羽の羽ばたき音、虫の鳴き声など天然のBGMがとても心地よかったです。

実際にswagの中で寝たのは2,3回程度だったかと思いますが何も邪魔するものがない中で星空を眺めていると心が洗われるというよりも無の境地に入るような、自然とこのまま一体化できるんじゃないかと思える程に無心で空を眺めていました。 

この感覚に触発されたのか、数週間後にメルボルンに戻った時にものすごく排ガスや音、そして人の多さに対してすごく敏感になっている自分がいました。

たかだか2週間とはいえ周りに何もない、空気の綺麗な生活が当たり前になってましたんで汚染物質に対する感覚器官が研ぎ澄まされてたんじゃないかと思います。自然の力はやはり偉大です。

写真は日没直前
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壁のない場所に住む人達に出会って(2) 〜苦労をenjoyする力〜

前回記事に登場した壁のない小屋に住む人達。彼らと出会った場所はWA(ウエスタンオーストラリア)州はNarrogin(場所)という場所からさらに内陸に位置するところだったんですがとにかく雨が降らない地域でした。
この場所にたどり着いた時にまず驚いたのは前述の小屋住まいもさることながら、痩せた土壌と降水量の少なさにも関わらずしっかりと野菜を育て、ウォータパイプラインによる政府の水援助にも頼る事なく生活を成り立たせていた事です。
敷地内写真。基本的に土は赤みを帯びており乾燥の見た目度合いを助長している
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ホスト曰くこの地域の年間降水量は約350mm程度。大体一年の内7~8ヶ月程度は雨にお目にかかる事はないそうです。自分が滞在していた時は5月下旬とこちらでは雨季に入りかけていましたが、滞在2週間中雨を見た日は一日あっただけで、それも申し訳ない程度にポツポツ降った程度。
乾燥具合も激しくこういう場所にやってくると自分の手の甲も潤いがなくなりあかぎれが散見されるようになりました。(この場所を離れたら改善しました)
こんな気象条件の下で暮らしているわけなので水は貴重な資源です。
ここにはもちろんシャワーなどはなく、体を洗うときはこのようなゴム製のバケツに、沸かしたお湯と水を入れて温度を調節し、お湯を入れ物ですくって体にちょこっとずつかけていきます。
シャワールームならぬお湯かけルーム
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中はこんな感じ
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旅慣れた自分は一日シャワーを浴びない事もざらにありますし、毎日体を洗わないと体が臭うというなる事もないとは思ってるのですが、唯一毛量が多いので頭皮にお湯が馴染むまでに結構なお湯を必要としたのが少し苦労しました。
またトイレも水洗トイレという水喰い虫ではなくコンポストトイレ。
トイレ写真P_20150604_124616
トイレの外観
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用を足したらここで手を洗う
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自分のウーフ統計値では大体3軒に1軒の割合でコンポスト式のトイレに出くわします。
自分の手を煩わすことなくお尻を洗ってくれる国から来た自分にとってはコンポスト式トイレとの邂逅は最初は「うげっ」となりましたが、慣れれば楽です。
オガクズを都度上からかぶせておいて時間が経てばバクテリアの作用で肥料に変化して、土壌の改善などに役立ちますので、いいことだらけです。このような節水努力によって年間降雨量350mmという貴重な水資源を無駄にすることがなくなります。
写真は雨水を貯めておく巨大タンク。田舎にいけば一家に一台はある。
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ちなみにこちらのオーストラリアの降水量マップを見てみるとオーストラリアの8割以上の地域で年間降水量は1000mm以下。真ん中あたりには50mmぐらいのところもありますね。
だから年間350mmといえどもまだまだ雨には恵まれてるといえば恵まれてるのかもしれません。でもこの350辺りが普通の人間が自活できる最低ラインのような気もします。
それと聞くところによるとオーストラリアの国土面積は日本のそれの20倍以上あるにも関わらず、人口の9割以上は海岸沿いに住んでるという話を聞いた事があります。それは内陸に行けば行くほど雨が降らなさ過ぎて生活を営むのが厳しすぎるからだそうです。
そのようなところに住めるのは水の在り処を発見できる知恵を持ったアボリジニぐらいだとか。一見土地が余りまくっているように見える国です(実際に余ってるんでしょう)が、その大半の地域は人が住み着くには適さない地域みたいです。
水が少ないので土壌も痩せてます。
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上の写真はホスト夫妻がこの場所に移住してきた当時の土壌状態ですが潤いのかけらもありません。なので彼らがまず最初に行ったのは土壌の改善と防風林の作成でした。防風林は何で必要かと言いますと、隣(と言っても数百メートル先)の農場からケミカル物質が飛んできて自分たちの野菜やらに悪影響が出ないようにする為なんだそうです。
彼らは移住初年度に約2000本にも及ぶ植林を実行したそうですが、1年後に無事に生き残った木はたった80本だったそうです。でも諦める事なく毎年毎年植林を続け移住から5年後には目標数値に到達したと言っていました。
同様に野菜を育てている場所もどう考えても不向きな土壌に見えますが、毎年毎年土壌改善に励むことで今では美味しい野菜が取れるまでに成長してます。
活きのいいスプリングオニオン
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野菜ガーデン
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ワインぶどうの蔓。将来的にはワインぶどうの蔓を利用した天然の屋根を作成予定。その土台となる支柱を植えるお仕事等もお手伝いしました。
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サボテンもある
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ある晩に彼らから移住当初に取った写真を見せてもらった事があったんですが、よくぞここまで!と思えるぐらいに最初は土壌状態も良くないし一面岩だらけだしで周りには本当に何もなかったんだそうです。
彼らは最初Van(ハイエースみたいなやつ)を改良してこの場所に住みつき、当然水もないのでポリタンクに詰め込んだ水を持参して小屋を建てたり転がってる大きい岩をどかしたりしてたんだそうです。
人生の目標≒生きる事というのが一直線で結べてしまいそうになるほど最初は過酷な状況(水が枯渇すれば数キロ先の近隣まで水を貰いに徒歩で行ってたとか)だったそうなんですが、話を聞いていると彼らは周りの人達には凄く恵まれてるんですね。
ホストファザーは元大工という事で仲間が結集して小屋作りを手伝い、その奥様方がご飯の準備をして、、、というのを何日もやって、どんどん形になっていく写真の変遷を見せてもらいながら最後に小屋が完成した記念に撮られた集合写真を見た時は当事者ではない自分ですら感動してしまいました。
「辛い時期で逃げ出したくなったけど、友人達のお陰で楽しく過ごせた」という言葉通り写真からもそれが伝わってきました。
世で大成した人も下積み時代の苦労話なんかを楽しそうにしてますし、この話を聞いて何がなんだかよく分からないけど必死こいて手掻き足掻きしてる時期が実は一番楽しいんじゃないか。そんな気にさせられた話を聞けたように思います。
写真はある日の夕暮れ時。上空には月が
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壁のない場所に住む人達に出会って(1)〜家はちゃんとしてなくて良い〜

2ヶ月以上前になりますが、
WA(西オーストラリア)州はNarroginという町からさらに車で40分程内陸に向かったところで、Helpx(ヘルペックス)を通して出会ったホスト宅に二週間程お世話になりました。
WAに来る前はメルボルンにいましたので、3000km以上離れたWAの州都パースまで飛行機で飛び、そこからさらにバスで二時間以上かけて上記のNarroginまでやってきたわけなんですが来て本当に良かったです。
ウーフやヘルペックスで、これまでいろいろ個性的な場所を訪れてきましたが、今回はいろいろ個人的に感化された場所になりました。
ウーフなんかでたくさんの場所を訪ねると、トイレはコンポスト式だったり生活用水は雨水を使用したり、野菜や果物は自分の敷地内で育てたりと生活インフラの自給率が高く、環境にも配慮した家庭はたくさんありました。
今回訪れた場所も上記に掲げた要素は全て満たしていたんですが、他と違って個性的だったのは、壁のない鉄筋で組み立てた小屋が生活スペースとして成り立っていた事です。
リビングルーム
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キッチン
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小屋の出入り口
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ご覧頂いてお分かりかと思いますが、一応”壁みたいなもの”は取り付けられてます。
この壁の正体はプラスチック素材の板でして、防塵・防風の役割をしてるのですが、小屋の出入り口以外は常設されてました。
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また電気は引いておらず小型のソーラーパネルを設置して、このようなランプとケーブルで接続し日中に充電したものを夜に明かりとして使うといった具合です。(夜はこんな感じの暗さ
因みにホスト夫妻の寝室はこの小屋ではなく、この小屋の裏にゲル(モンゴルの移動式住居:英語でyurt)がありましてそこが寝室になってました。自分の寝室もキャラバンでした。
寝る時以外はこの小屋で1日の大半を過ごすわけでして、そんな環境下で二週間生活したわけなんですが、家は別にちゃんとしてなくてもいいなと。
ここでの生活はオーストラリアのアウトバックでキャンプ生活やってるのとほとんど似たような状況だなと思いました。それまで自分はキャラバンパークというキャンプサイトでテント設営してカレー作るぐらいが関の山でしたが、この場所のように圧倒的に物がない状況で生活すると、とりあえず雨・風凌げて基本的な設備さえあって、あとは飯がうまければそれでいいと思えるようになりました。
テレビもエアコンも電子レンジもヒーターも扇風機もプレステもなくそこにあるのは必要最低限の家電製品、移動の為の車、屋根のあるスペースと寝床。
暮らしてて不便か?と言われれば全然そういうわけではないですし、むしろ快適です。
そもそも家って元がちゃんとしてればしてる程その質を保つのに清掃やメンテナンスに時間や費用が取られたり、いわゆる一般的な形をした家は建ったその日から経年劣化がスタートするわけなので、木が腐食したりシロアリに悩まされたり、台風で瓦が飛ばされたり家が傾いてきたり、壁に亀裂がはしってきたり、湿気でカビやキノコが生えてきたり。
しかしこれだけシンプルな作りなら修繕費用もそんなにかからないしなによりシンプル過ぎて客人に対する見栄もないし、多少汚れてるのがむしろ自然。
これから数十年生きていくにあたってこういう生活スタイルでも問題ないと思える自分がいる事を発見した事に大きな意味があるような気がします。「夢のマイホーム」は壁がないかもしれません。
言いたいのは本人がそこに住んでて気持ちがいいなら家の質や形は問わないのだと思います。
「自然の中のキャンプが何故か楽しい」というのが一番分かりやすい例だとは思いますが、この場所はそれをちょっと贅沢にした感じで、寝具はちょっと質の良い物を利用してましたし、本人達も毎日posh bush camping(ちょい贅沢なキャンプ)をやってるようなもんだと表現してました。
究極的にはハイエースみたいな車を改装してそこに住めるのんがいいのかなと思います。

自然派系スローライフ

ウーフやヘルペックスを通して旅をしていると所自分達のペースで生活をしている人達に出会う事があります。つい先日まで滞在していたセラミックアーティストのホストはオルタナライフを目指し、時間に捕らわれず、誰の指図も受けずに自分達らしい生き方を追求されていました。

朝は時間をかけてゆっくり朝食の準備をして、ぽかぽか陽光が降り注ぐ中veranda(日本での縁側にあたる部分)で朝食を摂り、たわいもない事をおしゃべりし、挽きたて淹れたてコーヒーをすすりながら、「さぁそろそろ働くか」と言う時点でもう11時を過ぎていた事もよくありました。

仕事自体は冬が近づいていた事もあって薪割りだとか、あと排水パイプ設置の為にtrench digging(溝掘り)のような肉体労働系を主にやりましたが全て自分のペースでやらせてもらいマイペースでいいから仕事をやり遂げる事を第一の目的に仕事をさせてもらいました。

仕事を終えて昼食を取るのが大体3時4時ぐらいでしたが、晴れてる限りは必ず外にテーブルと椅子を設置して食事を取っていたので、これがもう滅茶苦茶気持ち良く。

全体的に食事が美味しかったのは天気が良い外で摂っていたのも影響しているんのでしょうが、もう一つこの家には自作の竈(かまど)鉄板がありました。竈ではピザやパンを焼いたり、時には骨付きチキンを竈の中でじっくり焼き上げたりしてました。鉄板ではチャパティと呼ばれるパンを焼いたり野菜を炒めたり、鉄板を外して煮込み料理を作ったりして、時間はかかるんですけどなるべく不自然なものが入り込まないように配慮してたんですね。

ホストマザー(以下Nannaという)は料理も上手でしたが料理が出来上がるまでのプロセスや食材にも気を使ってましたので電子レンジはこの家になかったですし、コーヒーはインスタントなんて絶対使わずに毎回豆を挽いてましたし、野菜は自分達で育てたものを使用してましたし、小麦粉やら醤油とか調味料なんかもオーガニック由来のものを使ってました。

物欲のほとんどないスローライフを実践してたらもう「ご飯が美味いだけで幸せ」なんていう境地になります。

元々物欲がそんなにあったわけではないですが、ここでの生活を通して必要最低限のものが手に入って楽しく気の合う仲間とおしゃべりして好きな本を読んで、時間があれば釣りに出かけて誰にも指図されず時間に捕らわれない生活をしてたら他に何も必要なものはない気分になります。

あとこの家にはオーストラリアには珍しくサウナがありました。
タスマニアは日中太陽が出ている時は半袖でも過ごせるのですが、一旦陽が沈むと劇的に寒くなりますので、特に冷え込みが予想される夜や汗だくになって働いた日なんかはこのサウナに入ってはサウナ後のビールがこの上なく美味くて寝付きもよかったです。心も体もポカポカになって眠れる夜は何よりも最高でした。

敷地内で取れたリンゴ。黄色いのはGolden Deliciousという種のもので一番のお気に入りでしたP_20150502_132012

この場所を離れる前夜の最後の晩餐。奥の黒いものは自分が巻いた寿司ロール。一緒に作っていたオージーから寿司の正しい巻き方を教わる笑
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よく出かけた釣りスポット。ちょうどdusk(夕暮れ時)で水面に夕陽が反射して鏡みたいになっていたのが印象的
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Nannaによる陶磁器作品の一部
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敷地内から見える景色。これもちょうどdusk(夕暮れ)時
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kombu-chaって

皆さんはkombu-chaってご存知でしょうか?

ウーフをやってた時にこのkombu-chaという飲み物に出会ったわけなんですが最初聞いた時は昆布をだしにした飲み物なのかな?ぐらいに思ってまして、「kombuって何?日本語だよね?」とホストから聞かれた時は「ああそれはね。sea(海)にあるkelp(昆布)なんですよ」とドヤ顔で答えたんですが、どうも訝った顔をされてしまったんですね。

ほんでもってそのKombu-chaなるものを実際に見てみると所謂海の昆布とは全く別物だったんですね。因みにこれがkombuchaの素(株というらしいですが)。
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普段はセラミックの容器の中で保存されててこんな感じで置いてあります。手前に見える蛇口を捻るとkombu-chaが出てくるわけですね。
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そしてkombu-chaについて調べみて(というか実際に目にした時点で火を見るより明らかですが)、やっぱり海の昆布とは全然関係ないわけで、どうやら「紅茶キノコ」と呼ばれているものがこのkombuchaに相当するようです。

wikiには昭和40年~50年頃の日本でも健康食品として流行った事が記されてました。「えっ、そうなの?」とちょっと意外でしたが自分の親世代の日本人には顔馴染みなのかもしれませんね。

あとこの紅茶キノコのNaverまとめを見ると最近アメリカ辺りで流行り出してるんだそうです。正味「セレブ発」とか言ってもらわないとあんな見た目がグロテスクな飲み物(缶入りだと液体だけだが)誰も飲みませんから、その辺を見てるとマスコミ戦略が功を奏しているようですね。

実際自分もこの紅茶キノコをウーフ滞在中(置いてあったのは1件だけですが)に良く飲みました。最初は昆布が関わってると思ってたものですから、飲んでみて全然イメージと違う味にびっくりしました。発酵させてあるだけに炭酸を含んでいるんですが強烈なにおいも別にありませんでしたしクセになる飲み心地でしたね。オーストラリアにも売ってるんかな?と思って調べてみたらオンラインでは入手可能なようですね。スーパーでは意識的に見たことないので陳列されてるのかどうかは分かりませんが。

全然関係ないですが「このkombu-chaをもしアメリカ人が発音するとしたら...」というお題で、当時一緒に滞在してたオージーとケラケラ腹抱えて遊んでました。

「ワァオ、キャンーーチャー、スゥーパーッーサム(awesome)!」

アメリカ人てこれぐらい誇張して言いそうですよね(笑)。

ニワトリ 屠殺体験

つい先日まで滞在していたホスト先では計6週間過ごしたのですが最後の最後でニワトリの屠殺工程を見せてもらえました。実はもっと早くに体験できたはずなんですがホストの都合が合わずにずっと先延ばしになってしまってたんですね。自分は屠殺に興味がありましたんで「今週タスマニアを離れるから屠殺を見せてくれ」とせがんだところその翌日にやってくれる事になりました。

ということで今回は屠殺の様子を記して写真も載せたいと思います。が、さすがに全て載せるのはまずいかなと思いましたので一応自己検閲をかけて血や内臓といった生々しいものが写った写真は任意でご覧頂けるようにしています。なのでそういう類のものは見たい方だけ見て頂くようにお願い申し上げます。

さて屠殺の流れですが簡単に箇条書きで記しますと
1.ニワトリ(雄鶏のみ)を捕獲
2.首を切り落とす
3.羽根をむしる
4.内臓を取り出し食べれる部分を切り分ける
5.後片付け

という感じです。

今回は8羽中7羽の雄鶏(英語ではrooster、オス)を屠殺しましたが一匹だけは屠殺しなかったんですね。
ホストに聞くとニワトリ同士にも社会というものがあるそうでインドのカーストもびっくりの階級社会なんだそうです。

ニワトリ社会は常に雄鶏(オス)が上位にたつそうでして、雄鶏(オス)を全部屠殺してしまい雌鶏(英語ではhen、メス)だけ飼育すると雌鶏(メス)の上の階層に立つ雄鶏(オス)がいないので雌鶏(メス)が互いに傷付け合いをしてしまうらしいんですね。だから雄鶏(オス)一匹だけでも残して雌鶏(メス)の統制を保つんだそうです。自分はてっきり雄鶏(オス)を残さないと雌鶏(メス)と交尾ができずに卵が取れないからなのかなと思ってましたがどうやらそうではないみたいですね。

ニワトリが産む卵にも2種類あって「有精卵」と「無精卵」があるそうなんですが、有精卵はお察しの通り雄鶏(オス)と雌鶏(メス)が交尾後に産んだヒナが孵化する卵ですね。そして無精卵は精子が入ってないのでいくら温めてもヒナは孵りません。そして無精卵は別に雄鶏(オス)がいなくても雌鶏(メス)だけで産む事ができるそうなんですね。雌鶏(メス)自体が雄鶏(オス)がいなくても卵が生めるように品種改良されてるんだそうです。ほーなるほどと思いました。雄鶏(オス)一匹だけだから「雌鶏(メス)だらけのハーレム、ムハハ状態」なんてアホみたいに考えてましたがちゃんと雄鶏(オス)を残す理由というのがあるんですね。

因みに毎朝雄鶏(オス)の鳴き声で目を覚まされていたんですが屠殺翌日の朝は鳴き声は全く聞こえずに自分はグーグー寝入ってました。もしかしたら鳴いてたかもしれないんですが雄鶏の数が一気に減りましたのでやっぱパワーダウンしちゃったのかもしれませんね。

さてこの屠殺当日の朝なんですが、ホストが急遽「今から屠殺するわよ!」と当日の朝に勢い込んで決めたみたいだったのでこちらも朝起きてきてびっくりしたんですね。「あー今から屠殺かぁ」と以前から自分がリクエストしてた事ではあったんですが、いざその現場を見るとなるとやはり心を落ち着けるまで少し時間がかかりましたね。
ま、こういうのはあれこれ考えずにちゃちゃっとやっちゃった方がいいのかもしれません。何かチャーハン作るみたいな感じで言ってますけど勢いそのままに実行するのってたまには大事だよなって思います。沈思黙考してあれこれ作戦やプランを考えるのもいいとは思うんですけど、逆に考えすぎちゃってネガ転しちゃって結局何も起こらないし得られないって事あると思いますんで。

「あー今から屠殺かぁ」という気持ちだったのは自分だけではなかったようで、ホスト2人と他にフィンランドから来ていた女性ヘルパー(こう書くと老人ホームで働く人に聞こえますがHelpxを通してこの家に滞在している人の事です)も自分も食欲なかったので何も朝食では食べれませんでした。

やっぱ気分のいいもんじゃないというのは皆さん分かっていたようで気分を上げる為にアルコール度数50%のパリンカというハンガリーの蒸留酒にフルーツを漬けこんだお酒をカップに注いで皆で盃を交わしました。不謹慎かもしれませんが神風特攻隊が出陣する前に盃を交わすシーンを見た事がありますが、ほんと自分の中ではこれから戦闘に出る感じで「おっしゃー」と気合が入りました。因みにこのフルーツに度数の高いアルコールを漬けこむというのはヨーロッパでは割とポピュラーなんだそうですね。
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皆の準備が整ったところでまずはニワトリの捕獲です。
ニワトリ7匹を捕獲する為に餌を一ヶ所に撒いてニワトリを集めます。今回は自分を含む4人がかりで角に追い込み捕獲⇒袋に入れます。
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これを繰り返し合計7羽の雄鶏を確保。ニワトリは捕らえられる際に「ギャー」と叫ぶんですがそれがまた心の痛みを助長し、心の中で申し訳ない気持ちにはなりましたが、これも自分達が生きていく為だという免罪符を自分に与えて納得させました。因みに豚は屠殺される直前に涙を流すそうですね。聞くところによると犬よりも賢いんだそうです。

次に捕らえたニワトリの頭を一羽づつ(というか中華包丁かな?)で切り落としていきます。最初鶏の頭を殴打したり首を絞めて失神させてから頭を切り落とすのかと思ってましたがこの家庭ではそんな事はしないそうです。考えてみれば失神なんて一回で成功するとも限りませんしあくまで比較ですが首を一発で切り落としてもらった方が苦痛は少ないのかもしれません。ネット上には失神⇒屠殺開始みたいな事が書いてあるところがありましたけど個人的には一発で仕留めてあげた方がいいのかななんて思います。あくまで人間側から見た感想でしかないですが。

頭をchop off(切り落と)している風景
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首を切り落としたら出血がある程度止まるまで待ちます。人間でも同じかもしれないんですが頭を切り落とされるのがあまりにも一瞬の出来事なので、切り落とされた後もニワトリの体は動いてたんですね。ちゃんと羽根を両手で押さえてないと今にも逃げ出しそうなぐらいにバタバタ動いていたニワトリもいました。
首を切り落とされたニワトリ
毛抜き前のニワトリ

首からの出血が止まりニワトリが完全に静止したのを確認したら肛門に糞がついたままのニワトリがいますのでそれを水で洗い落としていきます。そしてその次に毛抜き(英語ではpluckingという)作業になります。毛抜きでは羽毛一本たりとも残らずにむしっていきます。ニワトリは脚(つま先から膝?)以外は羽毛で覆われていますのでこれが屠殺全体作業の中では一番時間がかかりました。
毛抜き後のニワトリ1
毛抜き後のニワトリ2

毛抜き作業の前にニワトリの脚を掴んでお湯に数十秒浸すんですが、こうする事で毛抜きがしやすくなるんだそうです。お察しの通り全て手作業でして、血で染まったむき出しの首の骨を見ながらの作業はやっぱり抵抗はありましたね。毛抜きも力加減を考えないと皮も一緒に剥いてしまってすぐ下の脂肪が出てきてしまったり、いきなり肉の部分が見えてしまったりでちょっと面倒な事になってしまいます。太腿とか体に生えてる羽毛はブチブチ割と引っこ抜けるんですが、羽根はかなり力を加えたり、ペンチ(pilers)を使わないと抜けなかったりするぐらい力の要る作業でした。
毛抜き作業自体は慣れれば容易い事でしたが、同じ作業をしていたフィンランドからの女性ヘルパーは気分を悪くしてしまい屠殺後の
食事も取れない程でしたからそれなりにショックがあったのかもしれません。自分の場合は最初少し抵抗がありましたが、どちらかというと以前書いたウナギを最初に絶命させないといけなかった時の方がショックはありましたし、ウナギを捌く時に内臓やら血やらを見てましたんである程度慣れがあったように思います。

羽毛や羽根を全て抜いた後はバーナーで細かい毛を焼いていきます。それから腹を切り開いて内臓を取り出します。その後それぞれのパーツに切り分けていきます。
切り分け作業の様子1
切り分け作業の様子2
切り分け作業の様子3


その後パーツごとに切り分けた肉をこのように選別しパック詰めにして冷凍庫へ入れます。
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ニワトリを切り分けるのに使用したまな板はよく洗い塩をまぶして天日干しに。

食べれない(食べれるんだろうが食べない)部位はこのようにまとめて、木の栄養分になるように穴を掘り埋めました。

片付けが終わったら早速切り分けた肝臓(liver)、脾臓(spleen)そして睾丸(ball)と玉ねぎを炒め、白ご飯と共においしく頂きました。
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以上が屠殺の一連の工程でしたが、考えてみればニワトリは人間が残した残飯を食べてくれますし、残飯をニワトリが食べる⇒それを屠殺し人間が食べる⇒食べれない内臓等は野菜の肥料に⇒野菜を人間が食べる⇒残飯はニワトリの餌に⇒成長したニワトリを屠殺しまた人間が食べる。。。と一部ややこじ付け部分があるかもしれませんが大まかに一連の流れがある事が分かります。

【今回の屠殺体験を通してみて感じた事】
動物の屠殺行為をどのように感じそれがどのようにその人に影響を与えるか、この辺りは結局は個人の好き嫌いに収斂されていくんでしょうね。ニワトリに限らず牛や豚の屠殺を見た事で肉が食べれなくなってしまいそれがきっかけでベジタリアンになったという人も会った事がありますが、それはそれで個人のライフスタイルの変化であり好き嫌いですよね。

僕個人は以前よりも動物に対して有難みや慈悲の念は増すとは思いますが、だからといって肉を食べるのを止める事はないと思います。ただ今回の屠殺だけじゃなくてウナギを捌いた時も感じましたが、自分の手で絶命させたり今回のように首を切り落として羽根までむしる事まで自分でやるとなると”何事”かは感じますし感じない人なんていないと思います。それがニワトリであれウナギであれ何であれ生きとし生けるものの生命を頂く有難みみたいなものはスーパーで購入するよりも何倍も違います。まぁどう感じるかなんて所詮は気持ちの問題と言ってしまえばそれまでなんですが、でもほんの些細な事のようでいて実はものすごく巨大で月とすっぽんぐらいの違いはありそうな気もします。そういった生き物を慈しむ気持ちって人間相手に対しても有効というか発揮されるものだからだと思うわけです。

今回自分が体験した事をより具体的に描写(首がむき出しとか)、屠殺体などの写真を載せたりとかしたのもやっぱ現実というか現実以外に事実を語るものってないだろうなと思いましたので極力具体的に表現描写を試みました。文章が稚拙なので今の自分にはこれが限界なのですがやっぱり生で見た方が何事かのsomethingを感じるし、やらないよりはやった方が月並みな意見ですが勉強にはなりますね。これって屠殺に限らず全ての物事に共通するんでしょうし現実から目を逸らさずに僕はずっと生きていきたいですね。

プチベジタリアン化

ジェーム野菜

タスマニアにやってきて約4ヶ月が経とうとしてます。今いるHuonvilleも朝晩の冷え込みが結構厳しくなってきましたが、何より日没の時間が夏に来た頃に比べると大分早まりましたね。1月とか2月だと夜9時前ぐらいまで暗くなりませんでしたけど、今はもう6時過ぎには暗くなっちゃいます。夏が過ぎ去っていくって寂しいですがこちらは昼間はまだ温かいので冬服を持ち合わせてない自分にはまだ救いですね。荷物をいかに少なくするかが死活問題の旅人にはお日様の力が強いのはありがたい事です。夜は夜でヒーター+ブランケット重ね寝作戦で凌げますから。

そんなこんなでタスマニアの寒さが本格的に牙をむく前に自分はメインランドである大陸側に戻ろうかと考えております。次はどこに行くとか未定ですけどメルボルンが第一候補になりますかね。メルボルンにはLentil As Anythingというベジタリアン料理を提供しているレストランが3件程ありまして(ついこないだシドニーにもオープンしたという話を聞いた)、そこで働きたいななんて考えております。

タスマニアでは都合6件の場所をウーフとHelpxを通してお世話になったんですがベジタリアンのホストにお世話になった時に「意外とベジタリアン生活も悪くないな」と感じたんですね。それまで自分はベジタリアン=緑黄色野菜の葉っぱ系しか食べれないという浅学非才極まれりのイメージしかなかったんですが、ベジタリアンつっても卵は食べれるし大豆もいけるし豆腐もいけるし無論パスタも食べれるしで「あれっ、意外と食べれるものってあるんだな」という印象を持ったんですね。

まぁ自分の知識不足というか興味のアンテナがベジタリアンにそれまで向いてなかったので当然といえば当然の反応なんかなと思いますし、唯一懸念してた「肉に対する渇望感」も実際にベジタリアン生活を送ってみるとあまりなかったのが自分でも驚きでした。最初ベジタリアン生活が始まる前は上に書いたイメージの為に「肉食いてー!!」って発狂するのかななんて心配してましたけど、約2週間程ベジタリアン生活を続けてもあんまそうなりませんでした。多分出された料理が美味しかったのもあるでしょうし、肉もどきというか肉っぽい食感って豆腐ハンバーグなんかで代用できたりしますからそういう影響であんま肉が恋しくならなかったのかもしれません。余談ですが緑黄色野菜も大量に食べましたけど一度緑便が出た時はびびりました。一回きりでしたけど野菜の食い過ぎもあんまよくないのかなと。

タスマニアに来る前にメルボルンに滞在してた時にくだんのLentilに行った事があったんですが肉全然使ってないのにすごく美味しかったんですよ。その時も「あー肉使わなくてもこんな美味しい料理ってできるんだ」みたいな感想は持ちましたけど、実際にベジタリアン生活を送ってみてもっと肉使わない料理について知りたくなったんですね。 Lentilで料理を作れる工程をやらせてもらえるのかは分かりませんがトライしてみる価値はありそうです。

因みにこのLentil as Anythingの名前の由来ですがMental as Anythingというオーストラリア出身のバンド名から来ているみたいですね。このバンドの音楽は聞いた事ないですけどcrazyさが売りのようでそこからcrazy(狂気じみた)⇨普通ではない⇨他とは違う形態のレストラン⇨Lentil As Anythingになったようです。こちらに長く住む人から聞いたので多分本当なんじゃないでしょうか。

ネットでこのLentilの事を調べると創業者はスリランカ生まれのShanaka Fernandoという人が始めたんだそうです。このShanakaさんはスリランカでは裕福な家庭に育ったそうですが周囲には貧困層が多くそういった人々には当時から慈愛のアンテナが向いていたそうです。20代の時に発展途上国を旅している時に貧困層をみてさらにガビーンとなって2000年頃に私財を投じてくだんのLentilをSt.Kildaに設立した時も本人はSt.kildaのビーチで野宿してたんだそうな。極めつけは彼の友人や難民に自分の車を貸しまくっていたところ本人が知らない間に交通反則金が14,000$(約135万円)まで膨れ上がっちゃたみたいです。裁判に出廷した時に裁判官に冗談(半分本気?)で「罰金を払い続けるのは我が家の伝統芸なんですよ」みたいな事を証言台で言ったそうですが裁判官の心には響かず今も自分で罰金を払い続けているそうです。

ここまで慈愛精神の高い人っているんですね。騙されても自分がホームレスになろうともカンケーねぇみたいな。まぁ実家は裕福だそうなので本当は資産があってお金に対する執着心があまりない方なのかもしれませんがほんでも普通はここまでできませんよね。行く末はマザーテレサみたいな感じになるんでしょうか。まだ40代みたいですし。

閑話休題
まさか日本にいる時にすき屋に通い倒していた自分がベジタリアン料理に興味持つなんてこちらへ来る前は想像だにしてませんでした。食に対する意識レベルなんかほんとなかったですもんね。でも自分でもこれは良い兆候なんだろなと思います。自分もShanakaさんみたいに何かにガビーンとなって世のため人のためになるような事ができればなんて淡く考えてますが、あそこまで反則金をためてまでやる勇気はちょっとないかも、、、

鰻釣→蒲焼レポート

陶磁器アーティストのホストのところにお世話になって1週間ほど経過したある日近くを流れるHuon riverに立ち寄った際にこの川で鰻が釣れるとホストが教えてくれた。
オーストラリアでウナギなんて今まで聞いた事がない。オーストラリアではスーパーやどこかのマーケットに行ってもウナギを見かける事はないし、そもそもその存在を知っているのかというぐらいこの国ではウナギの存在感がないような気がする。仮に存在を知っていたとしてもあのヌルヌル感と蛇のような容姿が毛嫌いされ完全にゲテモノ扱いされている事がその存在感のなさから伺える。
すっかり興味を持ったのでその数日後にホストと一緒にウナギ釣りに出かけた。やつらは夜行性の為午後8時過ぎから釣りを開始した。
その日は前日に降った雨の影響で川が増水しており流れも速くうなぎが釣れる期待値は高くないように見えた。また寒風も吹きすさみそれがさらに我々の士気を下げているように感じた。
自分も半信半疑で本当に鰻など釣れるのか疑問であったがホストに言われるがまま竿を垂らした。因みにbait(餌)には肉を使用した。(何の肉だったかは失念)
しばらくリールを巻いてはまた垂らすを繰り返すこと30分程だろうか何かが餌に食いついたような感覚があったので急いでリールを巻き上げた。糸をかなり遠くにやった直後に引っ掛かった感触があった為なかなか糸の先が見えてこない。糸の重さは相変わらず重いままだ。リールを巻き上げて数分経っても糸の先が見えてこない。ホストマザーも網を用意して私の隣でスタンバイしてくれている。
リールを巻き上げる事数分、自分の中では巨大鰻と格闘しているつもりだったが、おそらく流木か何かにフックが引っ掛かっているのだろうとの判断がなされ糸は無情にも切り落とされてしまった。網を持って横で待っていてくれたマザーの笑顔が少し悲しく見えた。
しかしそれから5分もしない内にホストマザーが一匹の鰻を釣り上げたのだ。

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本当にウナギが釣れる事に驚きつつも1匹釣り上げた時点で寒さも増してきていたのでこの日は引き上げることにした。それにしても本当にウナギだ。私はホストがどのように捌いて食すのだろうと期待していたがウナギの頭を切り落として燻製にしそのまま食べるという何とも原始的な調理法だった。

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そしてそのまま身をほじくり返してご飯と共に醤油を味付けにして食べた。

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背骨も内蔵もそのまんま残っていたしなにより見た目がグロかった。説明がなければおぞましさを感じずにはいられないものに仕上がってしまっている。やはりウナギは開いて蒲焼にするのが王道だし見た目もいい。今度は自分で捌くしかないと妙に大和魂に燃え数日後に再びウナギ釣りに出かけた。
ウナギ釣り二度目の川はいたって静かで流れも早くない。前回とは比べるべくもなく良好なコンディションである。餌はウールワースで海老を数匹購入した。

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釣っていて分かった事だがウナギは海老の尻尾には一向に食いつかないが身の部分には面白いぐらいに食いついた。やつらはやつらで身が一番おいしい部分である事を分かっているのだろう。
さて結果であるが川の状態と海老を使ったおかげか今回は2匹も自分でウナギが釣れた。ホストマザーも一緒に来ており彼女も1匹釣った為合計3匹の収穫だ。海老の購入価格は2ドル未満でウナギ3匹だから凄まじい費用対効果である。もっともオーストラリアでは価値はないが。
それにしてもウナギを釣り上げた際にウナギをおとなしくさせる為に首の部分にナイフで傷をつけるわけだがそれがなんとも自分にとってはつらい作業だった。私がその点に言及するとマザーからは「誰かがやらないといけない」と人間社会で生きていく上で必要最低限である旨の言葉をかけられた。
頭では理解しているつもりだったがいざ自分が息の根を止めないといけないとなると脳が少し拒否反応を示したように感じた。それでもおとなしくさせる為にナイフを突きつけるわけだが手に残るナイフを刺した時のグリッという感覚やウナギの首から漏れる血を見るとあまりいい心地ではなかった。やはり日頃何とはなしに食べている食べ物には感謝をしなければならない。そんな事を考えさせられた。
家に帰った後に待っているのはウナギを捌くことだが私には海外はおろか日本で魚を捌いた経験すらない。しかしyoutubeの動画とwebsiteを参考にウナギ捌きを見よう見まねで開始した。
参考にした動画→https://youtu.be/pH_WU_SuaAE
website→http://shirayaki.web.fc2.com/sabaki.html
動画やWebの説明だと目打ちが使われていたがそんなものはここにはない。なので終始軍手を嵌めた左手でウナギの頭を抑えて背から切り込みを入れた。

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しかしウナギの生命力というのは凄いものがある。頭を丸々切り落とされても、内臓を剥ぎ取られてもウネウネ動き続けていたのには驚嘆した。さすが滋養強壮に食べられるだけのことはある。
捌いている最中もウナギがウネウネ動き続けるので苦労した。しかし最大の問題は包丁がとにかく切れないのである。一番切れそうな中華包丁を使用してもまるっきしだめで、ほとんど「切る」というよりかは力ずくで皮や身を自分の腕力で「開いている」感じだった。

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初めて捌くのと包丁が切れないのが相まって3匹全て捌き終えた時には日付がすっかり変わってしまっていた。何だか一仕事終えた気分になって少し興奮していたが気分は悪くない。
ウナギの保存は水分を拭き取った上でラップに巻いて冷蔵庫に一晩寝かせた。

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翌朝早速蒲焼にすべく外で炭焼きの準備をし、こんな感じで鰻を並べ焼いてみた。

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それと同時に蒲焼のタレも準備した。こんな田舎、、、というかオーストラリアにウナギの蒲焼タレなどあるはずもないので、赤ワインのアルコール分を飛ばしたものに砂糖と醤油を混ぜたものを蒲焼タレに使用した。分量は適当である。

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炭焼きする事20分程だろうか。良い感じに焼き上がっていたので先ほど作ったタレにつけてご飯の上に乗せて食べてみた。

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肝心の味は悪くない。食感にやや固さがあるのは調理法の影響かもしれないが問題にする程度のものではない。蒲焼タレもうまくウナギと絡んでいてホストも美味いと喜んでくれた。
久しぶりの蒲焼丼をタスマニアで楽しむ事ができた。聞くところによるとウナギを釣り上げて中国に輸出している家族がこの辺にいるとの情報をホストが教えてくれた。オーストラリアではウナギの需要なんてないからいいビジネスになっているのかもしれない。
この辺ではウナギだけではなくクロマグロも釣れると聞いた事がある。レストランでは出せないそうだが個人で釣っている人もいるそうだ。釣り好きにはきっと堪らない場所である事は間違いない。