Variation of Conditions申請に伴うゴタゴタについて(2)

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メルボルンのサウスメルボルンマーケットのトラム駅にて

(1)の続きです。


週明け月曜日に現在の状況説明と今後の見通しについて再度関係者が集められて社内会議が行われたのですが、週末を挟んだので憶測やら会社に対するこれまでの不満やらが積み重なったお陰で会議は割りと紛糾したものになりました。

特に二人いる内の一人の中国人の同僚は説明に立ったBUD(オランダ人の事業部長)に食って掛かるように質問やらを投げかけており、かなり憤懣やる方なしといった様子で納得がいく回答が得られるまで矢継ぎ早に質問を浴びせかけていたのですが、彼女達の永住権の取得を目指している事情からこういう態度になってしまったのも理解は出来たのですが、ただ当のBUD自体もこのVOCの一申請者の一人ということもあって、全ての質問に対する納得いく回答など持ち合わせているわけもなく彼自身も移民局からの指摘というのは予想していないものだったことが感じ取れました。

翌日火曜日にも再度進捗状況に関する説明が執り行われまして、

・問題になっていた雇用契約書はイギリスの労働法ではなくNZの弁護士監修のもと既に改修されていること
・NZにおけるビジネス上の取引記録は提携先のT社とのNZ進出以来過去5年分の記録を提出することで対応可能なこと
・ビザ上の”雇用主”と実際上の”雇用主”が異なるという指摘に関しては、移民局側が本来提携先のT社に問い合わせて確認すべきプロセスを取らずに単に自社に該当するDirectorが常駐していないという判断で結論を出してきているため、追加の説明文書を送付して対応する予定であること(くだんのT社のDirectorは名義貸しのように他に3つぐらいの会社にDirectorの名を貸してDirector職を兼ねているらしいのですが、それは別にグレーでも何でもないそうな。何故かというとうちの会社のようにNZに進出してくる際に、NZに基盤がない企業が既に確率した基盤を持つT社のような地元の会社と提携していくことで新天地で成長の基盤を作っていくわけですが、NZの会社法だと永住権を持つDirectorが必ず一人はいないといけないことからビジネス提携という形で進出を手助けしないとダメなわけで、NZ当局としても雇用を生んでくれる可能性のある企業を除外するわけにはいかないことから問題視はされないはずなのに、移民局のお粗末な仕事ぶりで今回のような指摘がされてしまった
・移民局からその他求められている必要書類は全て提出可能であること

などの説明がありました。

とりあえず一連の説明を聞いてる限り自社の失態ではなく移民局側のお役所仕事の影響が今回の騒動の主な要因であることが分かったのですがいくつか学んだ点として

1. 移民局は担当者が変わるとその対応も千差万別でしかも過去の経緯だったりとかまるすっぽ無視して文脈も何もありゃしない表面的な部分だけを見て結論を出してきたりすることがあること。今回も過去に移民局自身が認めてきた内容を問題だと指摘してきてたりと担当者が同じだったり、ちゃんと内部で情報共有が出来ていればそんな指摘はしてこないはずというものばかりで、いわゆるお役所仕事の典型のような指摘ばかり。勿論ビザの申請というのはワークビザやら永住権やら今回のVOCのように一度だけではないので常に同じ担当者が対応するなんてことはないのですが、それにしても何かしらのシステム内で情報共有はされてるはずなのに見事に表面的な部分しか見ないまま結論出してしまうものだから今回のような騒動に繋がってしまった感じです。

2. その稚拙な移民局の指摘のお陰で大分こちらとしては混乱と余計な不安をもたされたわけで、週末を挟んだこともあって余計に混乱と憶測が同僚の中に広まって、さらにもともと会社に対して抱いていた不満が増幅して冷静に初期の混乱期を見定めないといけなかったこと

3. ただしどれだけ移民局の回答が稚拙な仕事の結果もたらされたものであろうとも、ビザがディクラインされる可能性のあることだとものすごく不安になるし、移民局≒絶対的な存在の移民の立場としてはどれだけアホな担当者であろうとも下手に刺激や反発は出来ないしで、今回もこの問題が発生した直後から知り合いのビザアドバイザーにメール何本か送ったし、最終的にはコンサル費用払って対応してもらったしで移民局の影響力はやはり計り知れないこと。

4. 管理者だからといってその裏の苦労は見えないこと。終始この問題の窓口担当としてこのBUDが対応しているわけですが、彼としてはこのVOC申請者に対して余裕のある態度で不安を感じさせないようにしないといけないわけで、その余裕のある態度が返ってブラフ(ほら)を吹いてるように見えてしまった部分もあったのですが、説明している内容自体は筋が通っているし納得のいくものだったので、幾度の説明と時間と共に皆にも落ち着きが出て来るのが見えました。それにしても、こっちの社会で上に立つっていうのも中々苦労するものなんだなと思いました。日本やアジア圏のようにそこまで縦社会じゃないので、例えば日本の上司のように高圧的な態度や圧倒的な上下関係でもって部下を制していくような軍隊的な感じで物事進められないし、そんなことやろうものなら当局に訴えられたりするだろうし、また当局の力もかなり強そうだし、一人一人の労働者における力が強いから一番上に立つ人間だからといって尊大な態度を取るんじゃなくて、皆を鼓舞して引っ張っていくようなある程度の人間力がないとダメだしで、その苦労
たるや想像できないものだと思います(でもその分報酬も良いみたいですが)

ということで5月25日の提出期限までに全ての必要書類を提出しまして、結果が出る30日間ずっと待つことになります。今回のVOC内で指摘されたOverstayの問題に関して個人的にはまたぶり返されてるわけで、移民アドバイザーに500ドルぐらい払ってまた事情説明してもらうCover Letter作成してもらったわけですが、毎回これ指摘されてたらたまらんです。自業自得ではありますけど。

平均の法則 〜最初の失敗は当たり前〜

今やってる仕事は大きな括りで言うと営業です。

その中でも自分が今やってるのはBD(Business Development:新規事業開発)で、まだ過去に付き合いのない見込み客(英語ではProspect Customer)を発掘していくことです。

よく営業活動はファナル(漏斗)に例えられますが、自分が担当するのは漏斗の入り口部分に興味を持って入ってきた見込み客にアプローチしていく役割で、そこに自分がアプローチした結果ある程度興味を持っていたり、課題を持っていたりすることが分かれば、日本現地の営業担当に引き継いでいくことになります。

その後現地の担当がフォローし続けて漏斗の一番下の部分であるクロージングまでたどり着ければ、見込み客だった人が顧客になるので、最終的に自分が発掘したお客さんがそこまでいってもらえるようになるのが理想です。

ただクロージングまで行く割合というのは、担当者に100件引き継いで1件あるかないかぐらいの割合なので、なかなかお目にかかれないです。

もっともその100件を生み出すためには、その10倍の1000件ぐらいお客さんと会話したりメールしたりしてます。なので10件お客さんと喋ったら、10件中1件ぐらいは興味を持ってる人がいたりするわけです。(実際はどういう経路で興味を持ったかによって変動しますが、およその平均値としては大体10件中1件の割合)

なので、数をこなせばこなすほど興味を持つ見込み客に出会う確率が高まる(営業は数字のゲームと言われる所以)のですが、このことを分かりやすく例えも交えながら語ってくれているJim Rohnという人がいます。

この人は営業の極意みたいなことを語るアメリカの起業家なのですが、この手のものにはThe Law of Averages(平均の法則)というものがあって、要は数をこなせばこなすほど、野球の打率のように徐々に平均値が現れてきて、最初低い打率であったとしても、数をこなす毎に技術が上達してその打率も上がってくる。

よって営業技術の巧拙を最初に語るのは愚かしく、また最初に上手く行かないからといっても、ただ単にそれは数字の問題なのであって、量が足りないだけなのだと喝破している動画があります。

上の動画の大体最初の3分間ぐらいで要旨は言ってますので、リスニング練習がてら聞いてみて下さい。
(ちなみにこの手の動画を今のうちの会社の講習の中とかで使われて、内容を一発で聞き取って意見とか求められたりしますので、現地ローカルで働くための最低基準みたいな感じで捉えてもらってもいいかもです。このレベルに自分はついていけず毎回あうあうしてた。)

この平均の法則という考えは、およそこの世の中にある事象のほとんど全てに応用できるんじゃないかって思います。

自分を例にとってみても、最初うだつの上がらない数字だった営業成績も1年半以上経過した今ではかなり安定的に数字を残せるようになってます。これはやはり数をこなすことで慣れてくるとともに法則性を見出して、自分なりにアプローチの仕方を変えたりだとか、言い方を変えたりだとか、切り口を変えたりといった工夫を見出してますので、それに伴って必然的に成績も良くなってきてるのだろうと思います。

あと英語に関してもしかり。言語は特にその法則性が出て来るまでの時間が長いと思います。

どれだけの時間で見積もって言語を習得しようと思っているかにもよりますが、例えば10年を言語習得期間にあてたとして、最初の5年でどれだけ苦労しようとも、それは平均の法則に言わせてみれば、ただ単に勉強量や現場での経験値などが足りないだけなのであって、失敗と言うのも愚かしく、残りの5年で上昇カーブ(ただし非常にゆっくり)を描いていき、10年が経つころにはそれなりのレベルにまで到達している、ということになるんだと思います。(実際にそういう風に思ってないと、生の現場でやってられないというのもありますが)

またNZのダニーデンというところに居たときに、廃棄食材を何かしらのビジネスに繋げられないかと思って、今三重県で塾講師やってる渡辺絢也君とかと協力してダニーデン市内のレストランやカフェに飛び込みで聞き取り調査したことがありましたが、最初の20-30件は相手の言うことが早すぎて、全然付いていけなかったのが、その数が50件も超えてくると現場度胸もついてくるし、ある程度言ってることも同じようなことの繰り返しになってくるしで、法則性を見出してからは大分会話もスムースに聞き取れるようになってました。

まさに平均の法則を今の会社に勤める以前に体験してたわけですが、よほど自分が特異な才能の持ち主でない限りはこの法則を当てはめれば、誰だってどんな領域においてもそれなりのレベルにまで到達できるということでしょうかね。

まだまだ自分の場合はその成功体験自体が少ないのですが、少なくともそういう風に思うだけでセルフエスティームが下がることはないですし、「およそ他人に出来て自分にできないことはない」と思えるのが実は最大の効能だったりするように思います。

英語よりも大事な事?

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毎週毎週1週間が終わろうとする日曜の夜にこれを書いてます。

もし今日本にいたら明日からまた満員電車に揺られて仕事に行く事や会社の人間関係を想像するだけで何もやる気なんか起きないでしょうが、自分は普段車で通勤してるし仕事は日本時間に合わせてるので昼からだから朝の通勤ラッシュになんか出会わないし、会社では英語こそ分からないから惨めな思いはすれど同質的なピア・プレッシャーで変に思い悩む事もなく人間関係におけるストレスなんかほとんどないしでとりあえずオフィスに来る事さえできればもう合格みたいな感じで、日曜の夜ではありますが特段気が滅入る事もなくブログで何書こうか多少悩むぐらいで済んでます。

だから日曜の夜だからと言って日本にいる人と比べれば別に憂鬱でもなんでもないのですが、そうは言いつつも会社で英語が分からない時はほんとに壊滅的に分からないのでこれに関してはずっと頭痛のタネです。

もうすぐ今の会社で働き始めて1年が経過しようとしてまして入社当初と比べると英語における4技能全てにおいて向上してるのは間違いなくて、ある意味日々追い込まれながらやってきたお陰で独学でIELTSもOverall6.5点超えれた(もう少しIELTS対策やってれば7点いけたはず)と思ってますし、ここで働いてなかったらこんなにも危機感持ってやる事なんかなくワーホリ英語の域を出ないまま帰国してたかもしれないわけですが、1年たった今でも分からない時はほんとに分からないです。

何度も書いてますが今の会社は日本語と日本社会へのリテラシーがあるから採用されたものの、こと英語においては「お前、大丈夫か⁉」と心配にさせるほど毎回毎回入社当初(今でも)あたふたしましたし、社内のワークショップでも講座の最後にボスから意見求められても分からないから何も言えず皆の前であうあうしてたら同僚から助け舟出してもらって救ってもらった事もあるしで、それはそれは他人から見ても自分で振り返っても悲惨な光景そのものだったと思います。

だから「英語が分かるようになる」、ってのは今の自分にとってはかなり切実です。もう英語が分からないだけで人生の半分以上損してるような感じで、他の人が楽しく会話したり笑ったりしてるのに自分だけ分かってない場面が圧倒的に多くて、そのまま仏頂面でいるわけにもいかず多少笑みを浮かべてその光景を見てたりしますが、それだけでもう英語が理解できてればミスる事なく本来楽しい思いをする事ができたはずの機会損失は甚大なわけでこれまでに途方もない楽しい瞬間をミスってます。

ただ英語が分からない辛さを書くのはなんぼでも書けるわけですが、単なる言語力じゃない問題も孕んでるわけで「そこじゃないだろっ」て自分に突っ込みも入れたくなったりします。

特に今会社の中で楽しいとか面白いと思える瞬間というのは別に日本にいたとしても同じようにそう思える場面が多くて単に言語が英語になっただけで人が楽しいと思える事や発言、発想に至るまで基本は一緒だと思います。だから今自分が苦労している事って単純に言語の問題なのか?と思う事もあって、もし自分がもっと楽しい発想の持ち主でクラスの人気者とか愛されるようなタイプの人間だとしたらもっと違う展開になってたんだろうなと思う事もしばしばです。

今の会社では楽しくワイワイやってる人であればあるほど子供っぽい側面が強くあって、チョコレートが差し入れで入れば文字通り両手を上げて歓喜するし、斜に構えたような部分がほとんどなくて一人ひとりが個性が強くて誰がいてもクラスの人気者になれたり愛されキャラになるような奴らばかりですが、基本皆に備わってるのは「楽しい事は楽しい」と素直に感じてその場を楽しむ能力があるか、能力というよりも本能的な部分だとは思いますがそれが自然に出るかどうかだけで全然違うと思いますし、それがあれば自然と笑顔にもなれるしでバックグランドが違う人間と共生していくような環境の際には結構大事な部分だと思います。

「英語さえ出来れば何とかなるので勉強しないといけない」というのは紛れもない事実だとは思うのですが、実際には会話の中での切り返し方だとか突っ込みのタイミングだとかパーソナリティに合わせて人をいじる能力だとか対人や会話における技術系の能力もさらに大事ですし、究極的には感受性豊かに素直に人と接する事ができさえすれば万事okなんじゃないかとも思います。

日本語で置き換えてみりゃそんな事言われなくなって誰だってそう思うとは思うのですが、じゃあそういう考え方とか発想、技術、人格的な形成ってどこで出来上がるのかと言えば生まれ育った日本で培われてくるものであって、単に学校行って勉強してるよりかは普通に友達と遊んでバカやって素直に楽しいと思える事を楽しめるような人間に育ったり、より多くの対人スキルの経験値を積んだ方がよっぽど将来有望だと思えたりします。てか海外に来なくても日本で生活するにおいても大事なスキルだし人生において一番重要なスキルじゃないかとも思ったり。

英語の勉強において「ちゃんと間違えない英語を身につけないと」という概念に囚われて文法的にミスがないよう気を遣うあまり至極まっとうな事を言ってしまうクセがなくなりつつある自分としては、少なくともこれから何百万人と英語で苦労するであろう日本人向けに、誰かもっと声高々に「勉強なんかしてないで楽しいと思う事やってりゃそれでいい!」と言ってくれないかなーと思ったりする日曜の夜です。

(写真はGibbs Farmという場所にて)

IELTSで6.5を取った雑感

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1ヶ月程前にタイでIELTS(アカデミック)を受験して先日結果が返ってきました。

まず何故にタイで受験?と言いますと、去る4月の中旬にNZの移民局が発表した新しい移民政策の変更(永住権申請には必ず英語力を証明する移民局が設定した基準を満たさないと永住権が申請できなくなる)によってあっという間にNZ国内のIELTSの受験枠が埋まってしまい、出遅れた自分はというとちょうど会社の有給休暇を利用してタイに旅行行く予定にしてたので、たまたま受験枠が空いてた旅先のタイで受験をしてきました。

結果はというとOverall6.5を取得し、点数自体は初めて受けるには悪くはなく永住権申請に必要なポイントをゲットする事ができたのでひとまず安心しました。

ただ日常では相変わらず会社では上司のイギリス人が言ってる内容がスムースに聞き取れないですし、ミーティングでも途中で分からなくなって一人であたふたして全然余裕なんかもなく、現実的には英語に対する苦しみは一ミリも変わらないので、両手をあげて喜ぶものではなかった、というのが正直な感想です。

特に一番点数が良かったListeningセクションにおいては7.5とまあまあの出来ではあったんですが、現実はというと現場ではズタボロにされる毎日。

Listeningに関して思ったのがテスト中Bluetoothを利用してヘッドセットを装着しながら受験したのですが、そもそもこんな綺麗に雑音も混じらず相手の声なんか現場では聞こえてこないですし、会話のスピードはもっと早いし、飲んでたりなんかするといよいよ宴もたけなわになれば、皆のテンションもMAXでもの凄く早口になってますます聞き取りづらさに拍車をかけるしで、やはり本当の意味での英語力を測る事なんて無理なんだろうなと思いました。

もっと現場力を測れるような英語試験にするのなら、雑踏の中で聞こえてくる人同士の会話とか、バンバン隣を車が走ってる大通りを歩きながら会話してる人たちの会話とか、会議中に盛り上がったり意見闊達になってあっちこっちから意見が飛び交うような場面の会話や、喧嘩をしてお互い言い合って収拾がつかなくなっているような感じの方がノイズは邪魔するし他の人の声は聞こえてくるけど聞き取れないと仕事にならん、みたいな状況設定にした方がより現実味がありますし、より現実に則した点数が叩き出せそうな気もします。

海外の現場に出るようになってからというもの英語力というよりかは現場力、対人関係能力のようなものを数値化出来るようなものがないと単純に語学力を測るテストだけ受けても現場ではまるで役に立たなかったりする事もままあるとずっと感じてきているので、今回6.5という点数は取れたのですが必要がなければ正直2度と受けたくはないです。

ただやはりこっちで英語の不得手&異民族とのコミュ力が乏しい自分のような日本人が上手くやっていくのであれば圧倒的な言語力というのは最低レベルで必要なので、IELTSで言うなら7点以上、可能なら8点は取っておいてそれにプラスしてどれだけの素養や経験値、英語圏における文化、風俗への理解や知識なんかが組み合わさっていかに総合力で素敵な人間になれるかがポイントなんかなと思います。

最初からそれなりの容姿を持ち合わせていたりだとか、圧倒的な人間力を持ち合わせているだとか、こいつはほってけないと思わせるような何かがあるんならいいんでしょうが、少なくとも今の自分にそんなものはないです(鍛えてはいるけどまだ全然)。

だからもし英語力や人間的素養の充実だとかを目指すつもりがないなら日本食レストランとかの日本関連でやっていくのがこっちで上手くやっていく一番手の手段なんかなと思います。大抵は日本リテラシーを高めるたり地元の人間の好みなんかを研究すればいいだけですし(それも簡単じゃないでしょうけど世界を自分という人間の総合力で相手にする事を考えればまだ手っ取り早いと言える)。

ただ個人的にはこの先どういう道に進もうとも総合的な人間力を向上としていきたいです。こちらでホワイトカラーの仕事を得たいとかネイテイブに囲まれて仕事していくのが夢みたいな幻想はとっくに消えており、逆にネイテイブばっかだと多様性が失われて彼らしか理解できない言葉や物事ばかり喋られて肩身が狭くなる経験を腐る程してきてるので、今はもうそんな夢物語みたいな事は期待してないのですが、今少し片足が入いりつつあるように、英語を理解してそれをもとにいろんな人間と知り合って自分の知らない世界の話を聞いたり、はたまた少しでも未知の事を経験できたりして自分の世界観がぐわっと広がっていくのが何よりも刺激的で快感です。

日本でもそれなりの世界を経験した人たちというのはおられるとは思いますが、やっぱ世界となると分母が違うので日本じゃ考えられないような経験をしてる人間も腐るほどいるわけで、そんな人らと同じ空気を吸ってたり一緒の時間を過ごしてると思えるだけで何か英語勉強してきて良かったなーと思えたりします。

だから点数じゃ推し量れない部分がますます重要になってくるわけで、単純に高い点数取ったとか目標点数を突破したからと言って素直に喜べない自分がいたわけであります。

(写真はBrowns Bayのビーチにて)

ネイティブのような英語力を身につけるには

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英語学習毎日何かしらやってます。

やらないと今の会社でついていけないし、1ミリでも良いから早く英語力が上がって楽になりたいんですが、今の状態を例えるなら目的地が途方もなく遠すぎてゴールが見えない大海原の中をひたすらジタバタ泳いで、たまに大波にさらわれて死にそうになるんですけどそれでもなんとか溺れて死んでしまわないようにもがいて生き延びて、たまに流木なんかに寄りかかって安息の時を得ながら毎日ゴールに向かって英語という大海の中を泳いでる感じです。

そもそも今の仕事は日本語と日本社会へのリテラシーがあるから採用された(ある程度の英語力も見てるんでしょうけど)ようなものですが、自分はオーストラリアという海外に初めて行くほんの4年前まで英語でコミュニケーションなんかした事はなく、日本にいればその辺を歩いてるような海外未経験、英語の使い方なんか知らない童貞丸だしの典型的な日本人だったわけです。

一応童貞から玄人になるべく早くなる為にワーホリ期間中は日本人が人っ子一人いないような場所で働いたりとか、ウーフやらヘルペックスやらで英語漬けの日々を送ってきたのである程度の慣れと英語力の錬成にはなりましたが、それでも付け焼き刃的に身に着けたたどたどしい英語力しか持ち合わせてなかったですし、今は多少マシにはなったとは言え現地の英語圏のローカルの会社で働く為に必要とされる英語力には程遠いのでよくこんな英語力で採用してくれたなという感じです。(裏を返せば英語力じゃない部分を評価されたんだと思いますが)

正直な事を言うと今の仕事は日本語を軸としたものなので英語を完璧に仕上げる必要性は必ずしもなくて、英語でのコミュニケーションを最小限度にしてやり過ごすぐらいだったらいくらでも可能です。あと他人との豊かな人間関係を築くのにも逆に言葉なんか要らないと言えば要らないのですが、英語力の低さをカバーし得るだけの人間的魅力がないだけに苦しんでいます。

こう書くと何やら会社で孤立してるかのようにも見えるかもしれないですが、波長が合う人は合うのでこんな自分でも仲良くさせてもらってる人(主にアジア系とは仲良くなりやすい)はいるのですが、自分の英語が下手くそ過ぎてネイティブの同僚とかとの付き合いは思う存分に楽しめてないです。

つい先日も会社の飲み会で皆で食事したりパブで飲んだりしましたが、彼らが喋ってる事の3〜4割も分かりませんでした。マジで言ってる事が分からないので他の皆が笑ったタイミングで一応自分も笑うという情けない方法で大半はやり過ごしてたのですが、これの何が辛いかと言うと自分以外の全員が一斉に笑い出すのに自分だけ理解できとらん事が多すぎて人生の楽しみの大半をミスってるような気分になる事が何よりも辛いです。

骨の髄までネイティブに成りきる

と英語には手をこまねいており劇的に英語力が向上するような特効薬があればいいのですが、そんなのはあるわけないし毎日地道にやってかないといけないのですが、果たしてあとどれぐらいやればいいのかも分からないですし最終的なゴールが見えないのが辛い。

また前回も書きましたが完璧な英語を目指すというよりかは最終的には面白く、魅力的な人間になる方が遥かに重要(特に男性)。何を話すのか、ちょっとしたジョーク、突っ込みのタイミング、笑いのセンス、知的な部分等々、、単なる言語力じゃない総合的な人間力の部分。

ただここまで来ると単なる英語力云々ではなく、自分という人間を根本から鍛えなおして人として魅力ある人間にしていく事がゴールになってきそうで、それはそれでこの世の中で生きていく上で汎用性が高いスキルなのでウェルカムなのですが、そこに行き着くまでにもその下地となる膨大な量の英語をやらないといけないですし、目下2〜3年以内の目標としては純粋たる言語としての英語力の底上げが必要だと感じています。

という事でやる事は分かり切っています。とにかく勉強せよと。でどれぐらいやればいいのか?ですが、ネイティブになりきるぐらいにまでやればまあ何とかなるんじゃないか笑と。

これは英語が達者な中国人の同僚から頂いたアドバイスだったんですが、この中国人同僚は後天的(18才以降)に英語を勉強し始めて、1年前にNZに来る前は一度も英語圏で生活をした事がないにも関わらず自国中国国内でほとんどネイティブと渡り合っていけるだけの英語力をものにしてくるというバケモンみたいな人なのですが、彼からの答えとしてはとにかく自分の骨の髄まで染み込むぐらいに英語ネイティブの感覚を養えというアドバイスをもらった事があります。

現実的な事を言うとネイテイブに100%なりきるなんて事は不可能だとは思いますが、ネイティブになりきるぐらい超人的な量をこなせばプロ一歩手前ぐらいのレベルには到達して現場でもそれなりに渡り合っていけるだけのスキルは得られるんだと思います。現に渡り合っていけてる中国人の同僚をこの目で見ているので説得力は相当なもんがありますし、何か一つのスキルをものにしようとする場合においても汎用性のあるアドバイスだなと思います。

この中国人の同僚は大学で英文学を専攻してた事もあってかなり勉強はしたそうではあるらしいのですが、机上の勉強以外でも洋画は1000本ぐらい軽く見てるし、洋楽も聞きまくってる。その目的は何かというと英語ネイティブが子供の頃から体験してきた自然に言語を覚えるという環境に極力自分を近づけて、言語を下支えしている考え方や文化といったものまでも体に染み込ませる事で言語の習得を容易いものにしてまおうという事なんだと思います。

話は変わりますがゴーストライターを生業にしている人は誰か有名人とか芸能人の人生史を担当する時はもう四六時中その人の写真が目に入るようにしたり、徹底的にその人の過去の話を聞いてゴーストライター自身がその人自身に成りきってしまうという話をテレビで見た事がありますが、種類は違えど英語に関しても英語世界に拡がるあらゆる世界観を自分自身に取り込む事で英語を身につけるという事なんだと思います。一見短期的に
は無意味そうな英語での多読、多聴が有効だという考え方もこれで理解できましたので、地味ですが数年後を見据えて明日からもまた勉強の日々が続きます。

(写真はWaipuにて)

ニュージーランドで持続可能な暮らし・オフグリッド生活体験(1)〜無条件で気持ちのいい場所〜

つい先日までヘルペックス(Helpx)を利用してニュージーランド人のご家族と共に1週間程生活をしていましたが、ホストファミリーの人柄、ロケーション、個人的な満足度全てにおいて満足のゆくものでしたのでその様子をご紹介したいと思います。

オークランドの北約300km

ホストとの待ち合わせ場所はニュージーランドの最大都市オークランドから北へ約300km程向かったタイパという小さな町でした。仮にオークランドが東京だとするなら北へ東北自動車道を利用して約300km進むと福島市あたり、西へ東名高速を利用して向かうなら愛知県の蒲郡市辺りが同等の距離間隔といえば分かりやすいでしょうか。

タイパはNZ北島のほぼ先端部分に位置。最大都市オークランドからバスで5時間。

人里離れた山奥へ

車中からのジェームス家の道のり風景
(ホストファミリーが住む場所へ向かう道中の4WD内から撮影。荒れた道を突き進む)

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(家にたどり着くまでには一度小さな川を渡るというワイルドさ)

まずお世話になる場所にたどり着くにはタイパからしばらく走りさらに上の写真のような荒れた道をひたすら20分ほどかけて車で走らなければなりませんでした。迎えに来てくれたホストファザーのジェームスによるとここに住むためには大きな岩をどかしたりして道を切り開く必要があったとの事で当時は友人から重機を借りて彼が1ヶ月程かけて道を開拓した事を教えてくれました。4WDで突き進んだのですが割りとアップダウンのある道で途中に小川を渡ったりと冒険心をくすぐられる、ほどよく荒れた道でした。


オフグリッド生活

ジェームス2
(迎えに来てくれたホストファザーのジェームス。日本での3年間の滞在経験有り)

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(ホストファミリーが滞在する場所。家の前には素晴らしい景色が)

上記写真からも推測できるかと思いますが山の中を突き進んできただけあってホストファミリーが住む場所は手付かずの自然が残る丘の上に家が建つという最高のロケーションに位置していました。この場所には小さな子ども2人を含む4人と1匹の犬という家族構成で、生活スタイルは「オフグリッド」という電力会社と契約せずにソーラーパネルを自ら設置して太陽光のみで必要最低限の電力を確保し、大抵の野菜や果物も敷地内で確保、水は近くを流れる小川から確保し「自分達が消費する分は自分達で極力賄う」という限りなく自給自足に近づいた、地球にも優しい生活スタイルを営んでいました。

ジェームス家のソーラーパネル
(小さなソーラーパネル。電力が足りなければ発電機を利用する場合も)


小川の水が飲める

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(皿洗いに利用していたエコフレンドリーな洗剤)

ホストファミリーが住むニュージーランドの北島先端部分は「Far North」というエリアなのですが、ニュージーランドの中でも手付かずの自然が残る数少ない場所だそうでして近くを流れる小川から汚染されていない清浄な飲み水を毎日飲む事ができました。

ただ都市部に見られるような排水設備なぞありませんので生活排水には化学物質が含まれていない洗剤等を利用し、体を洗う石鹸なども一般のものではなく自然との親和性が高いものを使う事で手付かずの自然と共生していました。またタロ芋という里芋の仲間の芋を排水パイプの吐出口付近に植えておく事で水の浄化作用があるらしく、タロ芋も育つし水も綺麗になって地中に還るしで一石二鳥です。

タロイモ葉っぱ部分
(排水口付近に植えられたタロ芋。水の浄化作用があるという)

タロイモ調理後
(醤油とチキンだし、ターメリックで調理後のタロ芋。里芋同様根菜部分を食べる。)

誰がどのようにして作ったかがわからないものは極力食べない

畑1
敷地内にある野菜達。

バジル近接写
バジル

チャイブ近接写
チャイブという細ネギ

タマリロ近接写
(タマリロという南米由来のツリートマト。見た目はトマトっぽいが味はフルーツに近い。wikipedia

竈の中のカボチャ
(ジェームス自作の竈の中にカボチャを一晩じっくり入れておき翌日のスープに利用。)

この場所に着いた初日から毎日畑で収穫した野菜などを口にしているとそのオーガニックな味の美味しさに感動する事もさることながら、GMO(遺伝子組み換え食品)の摂取など出処の分からない食材を食べてしまい体に変調を来す危険性などが一切ありませんので、子供を持つ親としては願ってもない環境だと思いました。一部の調味料や米などの食材等はさすがに外部から調達していましたが、近隣住民との間では足りない食材などを融通する事で極力「誰が作ったか分からないものは食べない」という環境を構築。「食の安全」という面で見ると非常に理想的な場所だと思います。また竈を利用する事が毎回料理の工程に入っているなど美味しいご飯を食べる為にはエネルギーを費やす方達だったので毎回のご飯がいつも楽しみでした。

ジェームス作のポテトサラダ
(竈を利用して調理されたじゃがいもメインの料理。ひまわりのタネを炒ってるので芳ばしい香りとカリカリの食感、じゃがいもの柔らかい食感、フェタチーズとのバランスが絶妙の一品。)

空気が美味しい

ジンジャーワイン
(ひと仕事を終えジンジャーワインを空気の美味しい外で嗜む)

ポリー作カボチャご飯
(カボチャや人参、バジルペーストを加えたご飯。美味)

この場所だけにとどまりませんが南半球に位置するニュージーランドやオーストラリアに来ますと空気が澄んでいて文字通り空気の美味しさを全身で感じる事がよくあります。都市部では排ガスなどが気になってしまいますがひとたび田舎に来れば済んだ空気を堪能できまして、お世話になったこの場所は特に山奥という事もありその美味しさというのが際立っていました。だから食事時などは天気が良ければ室内ではなく常に外で食べていたいのですね。空気も美味しいし食事も美味しいというダブルで美味しさが味わえてしまいます。

太陽と共に生活する

ジェームス家日没直後
(日没直後。まだ少し明るい)

オフグリッドなので無駄に電力を消耗してしまわないよう日没後は部屋の明かりは点けずに(そもそも電灯などないですが)、日没と共に毎晩2人いる子供達は寝床に向かっていました。時期的には秋の夜長という事で自分が滞在していた頃は夕方6時30半過ぎにはあたりは暗闇に包まれていたのですが、その後の時間というのはロウソクの火を明かりに読書に耽り、「眠たくなったら寝る」という現代人にはなかなか実現できそうにないような環境でお陰様で毎晩ぐっすり眠る事ができたように思います。

自分個人としては寝る前はいつもスマホの画面をいじりながらブルーライトで目がずっと冴え続けるという現代人特有の過ちを犯してしまうのですが、そもそも電力の確保も難しくスマホの電池ももたないしでやる事と言えば読書ぐらいだったのですが、やはり人間の体は太陽の動きと共に生活した方がしっくりくるのだなとこの生活スタイルを通して実感しました。いい意味でいろいろと不便(WIFIがなかったり、携帯電波も弱かったり)なので、クリエイティブな仕事をしている人達にはもってこいの場所なのかなと思います。

そこに居るだけで無条件に気持ちのいい場所

この場所でお世話になるのを決めた決定打というのがヘルペックスのプロフィール写真でした。写真を見ておそらく「そこに居るだけで無条件に気持ちがいい場所」に滞在できるのではないかという直感が働いたのですが、その直感は見事に正解でして、正直これが自分がこの場所に一番追い求めていたものでした。

自分の場合は「鳥や虫の鳴き声など自然由来の音しか聞こえず人工的な光もないような夜になると満天の星空に覆われるような場所」に行くと大抵「そこに居るだけで無条件に気持ちよくなる」ようなんですが、これはおそらくオーストラリア時代に見渡す限り地平線に囲まれた場所に住む人達と生活をしたのが大いに自分の五感に影響を及ぼしたのではないかと考えています。まあ自分個人の御託はともかく昼間の雰囲気の動画(30秒程)を撮ってますので少しでもこの場所の雰囲気を堪能して頂ければと思います。


(なお音が小さいので極力最大までボリュームを上げて頂いた方が虫の鳴き声なども聞こえて雰囲気を味わえると思います。)

どこかで優しくされたいと思ってないか。苦手な人とのつきあい方を考える

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4週間程前からニュージーランドはダニーデンという街の市内にあるフランス料理レストランで働き始めたんですがほぼ毎回怒られたり小言を言われたりしてます。

いわゆるジャパレス(日本料理を提供するレストラン)ではないので当然日本人は自分以外にはいません。上司としてシェフが二人いまして双方ともニュージーランド人ですし、言うまでもなく英語で指示が飛んでくるわけですが、たまに二人のシェフの内の一人である女性シェフの英語の指示が聞き取れなかったり、理解できない事がその人の癇に障ってしまうようでため息つかれたり、語気を荒げられる事がありました。

またこの女性シェフは常に何かしら小言のようなものを発し続けており、傍から見ていると負のオーラを撒き散らしているようであまり気分の良い光景ではないんですね。

最初自分は英語が母国語でもないし指示が聞き取れない事で怒られた時は「もう少し大目に見てくれよ。なんて狭量なんだ」と思ってしまい、また常に小言を発し続けるその女性ボスの姿を見て嫌悪感を抱いてしまい段々と気持ちが離れていってしまいつい先日退職致しました。

◎優しくされたいお子様メンタルになってないか

でくだんのレストランで働く事は「お金以外に得るものもないし、雰囲気もあまり好きではないから」という理由なのとオークランドへ移動する事が決まった為辞めたのですが、少し一歩踏み込んでみて「果たしてこれで良かったのか?」と最近思うようになりました。

というのも英語の指示が聞き取れなかったり理解できない事で怒られた事を気にするという点に関しては、相手に自分の英語力のなさに対して「寛容でいてくれるだろう」と心の中で勝手に期待していたわけで、それが裏切られた瞬間に自分の心がポキっと折れてしまったという事は自分自身のメンタルの有り様が常に優しくされてないと泣き出しちゃうようなお子ちゃま仕様のひ弱なものであり、移り気の激しい女性の心のように丁重に扱ってくれなければいとも簡単に崩れてしまうメンタルの持ち主である証左になるだろうと思うのです。

今後少なくとも10年程は自分で起業なりして一国一城の主になる、あるいはネットで対人関係を常に必要としない技術等を得ない限り宮仕えをしないとお金を稼ぐ事はできないわけで、その過程においては良い上司も悪い上司とも付き合っていかないとならない。よってこんな多少怒られたぐらいでへこたれるようなメンタルで「大丈夫か?」と思ってしまったわけなんですね。

海外(英語圏)に来た当初、英語ができない内は博愛フェロモンのような困ってるオーラを出してるので知らず知らずの内に回りの人達は助けてくれるけど、英語の上達と共に世間もそんなに優しくなくなってくる。プロスポーツにおいて反則スレスレのラフプレーやダーティプレーが通常のプレーの中に染み込んでいるように世間の反応や対応も甘くはなくなってくるという話しをお世話になってるAplac田村さんから聞いた事があります(上達と同時に素晴らしい世界も待っているので一概にこちらの世間を腐しているわけではない)。

考えてみればこの女性シェフが小言を言い続けたりしているのも彼らシェフ二人にとっては世間に名を出し自分たちの腕一本で食っていかなければならないわけであって、一つの信用の失墜が彼らにとっては命取りに成り得る可能性があるわけですよね。おままごとをやってるわけではなくそれなりに切った張ったのビジネスの世界で生きている。

そんな世界で生きている人が「英語ができないからそこんとこ宜しくね〜」と言う人間相手に対して手加減をしている暇があるとは到底思えない。少し怒られたぐらいでヘコんでしまうようなひ弱な人間が不貞腐れようが彼らにとってみれば何一つ知ったことではない。

◎対処法

とは言うものの何らかの対処法があった方がこのマイナス気味のベクトルをプラスに転換できる可能性がありますので、「英語が聞き取れる・できるようになる」≒もっとも定石の解決策だとするならば、今さほど英語ができない段階でも何らかの応急処置というか、不安定な場所を綱渡り的に歩くような感じの対処法が必要になると思います。現実問題として英語の急激な上達というのは望むべくもないので以下に何点か有効だと思われる対処法を自分の備忘録がてら箇条書きにて記してみます。

・苦手な人の取扱説明書を作る
→「相手の事が苦手だ」とかいう負の感情がある場合にただ単に「苦手だな」で終わらせて腫れ物に触れるかのように接するのではなく当該人物の取扱説明書を作って対処する。例えば、作業台が汚れているのをいつも指摘してくるので「少し汚れが目立ち始めた段階で芽を摘んでおく」とか、備品が破損するのをもの凄く気にするので「割れやすい物を扱う時は他のものを扱う時よりも少し丁寧に扱う」とか。またどういう話しをすると食いついてくるのか、普段の何気ない会話の中でそれを発見する力を養い相手の気分を良くしてあげるとか。

この説明書の中身は実際に相対する個人によって千差万別だと思いますので、嫌なやつが100人いたら100通りの説明書を作っておけばひとまず無難にやり過ごせる可能性が高まるんじゃないかと思います。

・ある程度大局的に見てその人のクセ・仕事内容・よく言う発言等のデータ取りをしておく
→これは取扱説明書を作るのとほとんど同じだと思いますが、働き始めて数日とか1週間程度でその人を判断するのではなくある程度大局的、といっても1ヶ月ぐらいでしょうか、仕事内容が差ほど複雑なものでなければ1ヶ月ぐらいもあれば直属の上司の発言傾向やら癖なんかが見えてくるんだろうと思います。例えば、「そんな事言われなくても分かってるような簡単な事でも繰り返し言ってくるような人」だとか、「毎回この指示をしてくる時はこういう英語の言い回しをしてくる」だとか、「少し暇な状況の時はおそらくこういう仕事の指示を出してくるだろうからある程度予測しておく」とか、「こういう状況の時にただ突っ立ってるだけだと毎回小言を言ってくるので、
瞬時に他にできる作業を見つけそれに取り掛かる」だとか。

このデータ取りをする事による効能としては、予測可能な出来事を事前に押さえておくことで例え高速英語で全文を聞き取れなかったとしても「部分部分で聞こえた単語」+「データに裏打ちされた予測力」の掛けあわせで言われている指示内容が推測できるようになり、結果として英語が聞き取れないという事象が発生する頻度を限りなくゼロに近づける事ができるんだと思います。

・ナメられないように社交性を維持し可能であるなら見た目も改善する
→日本人同士の職場ですとある程度空気を読むというテレパシーまがいの飛び道具が使用できたり、言わなくてもいい事を言ってしまうと相手の気分を害したりしてしまいますが、欧米圏の職場で働く場合には自分で予測して行動するのも大事ですが都度質問してミスコミュニケーションを減らしたり、ある程度social(社交的)でないといけないな部分が強いように思います。

例えば、「今日はこんな事があって」とか「週末はどういうふうに過ごして」とかその種の雑談力みたいなものは鍛えておいた方が雇用主ともより良い関係性が築けると思いますので、常に2つか3つはすべらない話しを用意しておく。これは日本人同士でも当てはまるかとは思いますが喋らない事によって不利益を被る確率が高まるというのはどちらにおいても存在すると思いますし、要はナメられないようにしておくという事でしょうかね。雑談を楽しそうにしてくる相手なら可愛げもあって情が生まれますし、ちょっとやそっとの事では無碍に扱われる事は少なくなるだろうと思います。

また即効性のある対処法ではないですが、全体的にアジア人は体の線が細いので筋肉をつけてガタイを良くしておくといいんじゃないかと笑。これって何気に見過ごされがちな部分のようにも思いますが、ガタイが良くて見た目的にちょっとやそっと押したぐらいでは倒れないような体格であれば自然とナメられる事も少なくなるだろうと思います。威圧的になるのとは違ってガタイが良い事でオーラをまとうみたいな感覚でしょうか。

・もとからそういう人物なのか、はたまた自分を貶めようとしているだけの人物なのかを見極める
→そもそも自分が何事かを言われる場面を考えた時に、相手にとってはまだまだ自分の仕事の取り組み方に対する不満があるわけでそれをただ単に指摘しているのだと思います。最初の頃は「何でそんなにオレばっかに」とか思うのですが、周りが見えてくるようになると実は他の仕事ができない従業員に対しても同じように接している事が分かり「ああこの人は誰に対してもそう言う人なんだ」というのが見えてくる時がありました。英語だとネイティブが喋ってる事が理解できる時ってあまりないんですが、周りが見えるようになるぐらい自分の仕事に慣れてくるとえらいもんでそういう会話とかも聞理解できたりする瞬間があります。だからこれも上に書いた大局的に見定める部分と重なると思います。

・ある程度空気を読まない鉄のハートを身につける
→これは同僚のイタリア人だとかフランス人だとかを見ていて思うのですが彼らは割りとぐいぐい人に話しかけたり相手の状況に関わらず一方的に自分の話しをしたりと全然空気なんか読まずに働いてるなと感じます。日本人の場合だともともとそんなに喋れる人が多くないのに加えて黙々と着実に仕事をこなす事が勤労の美徳だみたいな感覚がありますが、上に述べたようにこちらの欧米圏の職場では少なくとも社交性を持ってワイワイやりながら仕事をしていくのがマナーみたいな印象を受けます。

対処法は他にもいろいろあるかとは思いますがそれは個々人によって、職種によって、場面によって異なってくる可能性はあるかと思いますのである程度互換性のありそうなものをチョイスしてみましたが、何より今回このテーマを書こうと思ったきっかけというのが上にも記したように多少怒られた事で自己評価(セルフエスティーム)が低下しているなとやや危機感にも似た思いが自分の心の中を支配していたからです。

英語環境の中であれこれ怒られるのは日本語で怒られるのとはまた違った悔しさだとかがあるように思うわけでして、英語ができない≒無能な自分みたいな方程式が出来上がりつつあるなと感じたのでここらで一旦ピシャ!っと負の連鎖を断ち切っておきたかったのですね。

こんなのに勝ち負けがあるわけではないですがこのまま仮に日本に帰ってしまったとしたら絶対に自分の中にしこりというか負け犬意識みたいなものが残ってしまうような気がしたので、それだけは絶対に避けねばならない部分ですし症状が軽い内に対処しておく必要があるなと。これを繰り返していく事でちょっとやそっとの修羅場・現場に対応していける自分になっていければという感じです。

(写真はオークランドCBD)

職歴も手に職もない人は

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オーストラリアにいる時にメルボルン市内にて仕事を2つかけもちして2ヶ月間週7日で働いてた事があったのですが、仕事を始めた当初は週7日でやるつもりなんてなかったのですが、2つ目の仕事を人づてで得てからは結果的にほぼ2ヶ月間毎日働く事になりました。

2つの店では主に天ぷらを任されてたのですが、時給は一方(以下A店)は23ドル(税引き前)でもう一方(以下B店)は手取り18ドルでした。日本円だと為替の変動はありますがそれぞれ約2000円ぐらいなので一日平均して10時間働けば日当20000円。週7日働けば週あたり14万円。1ヶ月で約50万円ほど稼げる計算になります。

仕事の天ぷらですが、揚げるといっても日本の職人レベルと比較したらクソみたいな自分の技術で時給2000円近くももらえるのは一人当たりのGDPが高いオーストラリアならではだと思います。

世界の一人当たりの名目GDPランク(USドル)

自分は日本にいる時にこれといって何かの技術を構築してきたわけではないですし、ましてやロクに職歴があるわけではないので、これだけ稼げる環境があるというのは非常にありがたいです。 自分の履歴書なんてオーストラリアでは目も通さずにすぐにゴミ箱行きでしょうし、 正社員としての経歴なんかあってないようなものです。だからといって高学歴や職歴が充実している人なら仕事を得られ易いのか?と言われればそれは日本で高学歴や大企業に務めていた人達が就活に苦戦している話しを聞いても易しくないのは明らかですし、ましてや来たばっかりならローカル系(違法賃金ではない)カジュアルジョブですらどうかという感じです。

プログラマとか技術を持ち合わせているIT系の人とかは別かもしれませんが、世間一般で言われるところのホワイトカラーだったら自分と同じように英語のできない一人のアジア人という感じに見られると思います。

このあたり語弊がないように書いておくと日本での学歴や職歴が全然意味ないから日本で働く必要がないという事を言いたいわけではなく、やっぱり日本でそれなりのところで働いてきた人達は自分と異なり甘えも少なく、考え方やものの捉え方が聡明です。あと高学歴だからと言って人間的にひねくれてるとか自慢たらしいとかいう人もいませんでしたし、むしろ変に劣等感を抱いてた自分が恥ずかしかったです。

とはいうものの現実的にはオーストラリア含む海外では何らかの手に職系の仕事が合った方が良い仕事を得られやすい環境であるのはこの2年の滞在経験からだけで言っても間違いないと思います。

だから手に職を身につけられるのが良いのは言うまでもないですが、そこまでがっつり海外進出する気がなくても例えば魚が捌けるとか刺し身の盛り付けができるとか、巻き寿司が作れるとか知っておけばこちらの日本食をコンセプトに展開しているローカルのレストランとかでは職を得やすいように感じますし、日本食をコンセプトにしたお店はまだまだ増えていきそうです。上記のB店も日本のizakayaをコンセプトに新規オープンしまして、クリスマスシーズン(一年で最も忙しい時期)までの1ヶ月間だけで1000人ぐらいの客足を見込んでると言ってました。

このB店ですが正直な感想として日本で例えるなら味・質共に和民ぐらいのレベルだと思います。
ここ4−5年以上行ってないので最近はどうか知らないですが自分なりの感覚としては和民ぐらいじゃないか?と。そんな和民レベル(といったら失礼ですが)でもオージーには大人気。

寿司とか刺し身ってオーストラリア(というか全世界か)ではもの凄く人気が高くスナック感覚で食べられているように思いますが、ちゃんと寿司を握れたり刺し身を捌いて盛りつけられる人は少ないように思います。自分がメインで働いているA店、そして2つ目のB店共に寿司を握れたり刺し身を切れる人がいなくて日常的に探していました。こちらに10年以上滞在してる日本人の人も「良い鮨職人がいればお店はその人を手放したくない」と表現するぐらいこちらでは待遇もいいそうです。

「良い鮨職人が見当たらない」。それが証拠にかはやや牽強付会気味ですが、A店にエストニア人の寿司職人がいたんですがシャリに空気が入ってなくて硬いし、刺し身に筋も残ってしまう程度の技術でも1時間当たり23$稼いでました。

それでもお店は回ってますし自分が担当する天ぷらに文句つけられた事も一度もなかったです。断っておくと天ぷらは適当にやってたんじゃなくてそれなりに独学(日本から和食の基本が書いてある本を送ってもらったり、youtube見たり)でちゃんとした揚げ方の勉強をしたのは当然ですが、それをさっぴいても時給23ドルもらえるわけなので、日本でアルバイトとはいえ本腰入れて勉強させてもらえれば日本の最低賃金の3倍ぐらいのお金がこちらでは稼げます。

だからそのあたりの技術を本場の日本で半年か1年ぐらいアルバイトでやっとけばこちらにくれば雇われる可能性は大いに高まるという算段です。自分の場合も天ぷらのちゃんとした揚げ方なんか知らなかったですが、「天ぷらなら任せてくれ」と大法螺吹いたら翌日からA店で働ける事になりました。 

別に寿司系じゃなくても建築系でもいいですし、タイル工やレンガ工でもいいと思います。レンガ工なんか一個積み上げれば1ドル稼げると聞くのでこの辺も建築基準の厳しい日本で1年か2年ぐらい学んでおけばあとは現地で仕事を探し回れば職は得やすいんじゃないでしょうか。 

Electrician(電気技師)も給料いいみたいですね。直接地元の人から聞いた話しではElectricianの作業代は1時間100ドルはかかるらしいです。あとcall out feeと言ってElectricianを呼び出すだけでも80ドルぐらいかかる。だから1件で3時間作業すれば少なくとも380ドル。しかも直して帰るどころか余計に悪くして帰っちゃう場合もあるそうで。このあたりの専門技術に関しては英語の壁がありますので上述した給料を日本人が得られるかは分かりませんが夢はありますよね。

日本で陽の当たらないゴミみたいだった自分で
すら時給23ドルでしこたま(という程でもないですが)稼いだわけなので、 現在25才〜30才前後(35才ぐらいでもいいですけど)の自分と似たような境遇にある人がいれば、ちょっと日本 で”箔”をつけてこちらに来てみてもおもしろいんじゃないかというお話でした。

(写真はGibbs Farmにて)

Black Fella(アボリジニ)を知るなら

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Black Fellaという言葉をご存知でしょうか。
Black Fellaというのはオーストラリアに住むアボリジニ(原住民)を指す言葉だそうでしてその言葉の響きから差別用語かな?と思ってしまいました。
自分が差別用語かどうかを判断するまでの知識も見識もなく確信はないのですが、初めてその単語を使用しているのを耳にした時は少しどぎまぎしてしまいました。
こちらの記事で紹介したHanna Rachel Bellさんというフェミニストの方と共に生活していた時に彼女が親しみを込めてアボリジニの友人達を呼ぶ時に使用していましたので特に差別だとかそういう感情がないのだろうと察します。
Hannahさんは長年に渡ってアボリジニと共に生活をした経歴がありまして、それに関連した本も書いてらっしゃいます。滞在していた時に彼女の上梓した本を数冊お借りして読んでみたのですがアカデミックな英単語も多く当時(今も)の自分にはスラスラ読み進める事はできませんでした。ただ口頭で話を聞いている限りではとても興味深い内容だったように思います。
ちなみに「Black Fella」側からは白人の事を「White Fella」と呼ぶそうです。
一般的な知識としてこの「Black Fellas」は約4万年前にまだ地続きだったと思われるオーストラリア大陸にやってきて長い年月を経て広大な大陸に住み着いたと言われています。
自分が彼らに畏敬の念を感じる部分は水があるのかどうかも分からない大陸の中央部分(年間降水量が50mm以下)だとか、未だに道路の舗装状態も良くないようなアーネムランド(カカドゥ国立公園をさらに奥に行った場所)に住み着いたりと、科学的知識などない数万年前からほぼ動物的勘だけを頼りにしながら、世界最大にして最強と言ってもいい難攻不落の「大自然」を相手に今日まで共生してきた事です。
あるBlack Fellaを題材にした映画を見た時にそれを強く感じました。
The Tracker」(追跡者)というタイトルの映画でして、白人女性を殺害したあるアボリジニの男を捕える為に白人警官数名がその男を追跡する物語です。

彼ら白人はそのアボリジニの男がいる場所まで自力で到達できるだけの”知識”がありませんので案内役として同じくアボリジニの男を雇います。白人達はその男を案内役に殺人犯を捜索するのですが、道中延々と荒涼とした道無き道を進んでいく内に徐々にストレスが溜まっていき案内役であるアボリジニの男に厳しく接するようになります。
ですが道なき道も半ばまでくればこの案内役の男がいないと引き返す事もできないし殺人犯を見つける事もできないという状況に白人達は追い込まれてしまいます。
逆に案内役のアボリジニの男にとってはどんなに荒れ果てている場所でも”自分の家”ですからいとも簡単に水の在り処を見つけたり、常人の倍はあろうかという視力や驚異的な聴力でもって白人達が気づかない段階で危険を察知したり、またほんの些細な小石の散乱状態を見ただけで数時間前に人が歩いた痕跡を発見して次に進むべき道を見つけるなど驚異的な能力を発揮します。
このアボリジニの男はどんなに虐げられても飄々とした態度で白人達をいなし続け、それがまた白人達にとってみればストレスが溜まる要因にもなるわけですが、白人達はこの案内役がいないと生きて帰る事ができないのでこの男を処分しようにもできないわけです。
そしてストレスが溜まっている白人達は所期の目的である殺人犯の確保とは関係なく道中見つけた原住民を無差別発砲して殺してしまったりとかなり追い込まれていきます。
そんな光景を静かな目で見つめていた案内役であるアボリジニの男は白人達に察知されないよう、原住民の仇討とばかりに彼らを一人づつ殺していきます。
その殺し方も(銃とかの)西洋的殺し方ではなく、アボリジニが長年使用してきた槍を使用して急所をついたり、自然に生息する草などを調合して作った”天然の睡眠薬”を使って警戒心の強い白人を眠らせ、すやすや寝ている間にロープを首にかけ、自然の摂理を利用して徐々にロープが吊り上がっていくよう細工をして白人が眠りから覚める事もなくこの世から葬り去ってしまいます。
この白人達を”処分”したのに伴い映画は終了するわけですが、歴史的に白人達に虐げられてきた歴史を持つアボリジニが西洋由来の武器や知識を使わずに白人達を処分してしまう光景には過去の虐殺に対する抗議や風刺的な意味があるようにも感じるのと同時にアボリジニの数万年にも及ぶ世界最古に等しい知識を使って人を殺めたり、水を発見したりするシーンを見た時は自分含む現代人には到底及ばない知識があるのだと強い畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。
ちなみにこの映画の主人公である案内役であるアボリジニは本当のアボリジニの俳優でDavid Gulpililという方です。この人は以下に紹介するアボリジニ映画にも出演されておりその世界では唯一無二の存在とも言えるような感じの人のようです。
この「The Tracker」以外にもBlack Fellaの世界を知る映画やドラマを見ましたのでご紹介します。
・「Rabbit Proof Fence」(邦題:裸足の1500マイル)

これは1900年代から1960年頃までオーストラリア政府主導で行われていたほぼ誘拐といってもいいお節介政策によってアボリジニの家族から子供を強制的に連れ出してきて西洋式教育をうけさせたり西洋家族の一員に組み入れた歴史を題材にした映画です。その世代の事をLost Generation(失われた世代)と言うそうで、数多くのBlack Fellaの子供が家族から強制的に引き離されてしまったそうです。そしてこの映画はフィクションではなく実話だそうでして実際に強制的に収容された施設から逃げ出す事に成功した本人の映像も出てきますのでより一層現実感が増しますし、個人的には西洋人が抱く優生思想みたいなものが悪い方向に出てしまった負の部分を感じれる映画じゃないかと思います。
「Redfern Now」
2012年からオーストラリアの国営放送ABCで放送されているドラマシリーズです。タイトルからも窺えるようにシドニーのRed Fernという場所が舞台になってまして映像にはRed Fernの町並みも実際に使われてますので実際に街に行った事がある人には「おおっ見たことある」となったりするかもしれません。
このドラマでは表向きマルチカルチュラリズムを標榜し大らかに移民を受け入れ続けている差別の少ないオーストラリアのちょっとした闇のような部分を垣間見る事ができるような気がします。実際にBlack Fellaが被っている差別や社会問題を忠実に再現しているようでして、自分のような部外者が背景事情を知るには良いドラマだと思います。
10話以上ある中でも2話しか見てないんですがどちらとも興味深かったです。
その内の一つはアボリジニの血を引く16歳の少年がscholarship(多分返済不要の奨学金)を受け取る事が決まり進学校へ入学するところから始まります。
その学校ではオーストラリア国歌を毎朝生徒全員が歌わなければならないという規則があって先住民の血を引くその高校生は、先住民を虐殺した侵略者を讃える賛美歌である国歌を歌う事ができずにいます。それを先生から咎められ翌日以降はちゃんと歌うように高校生を説得し、家に帰ると高校生は歌の練習をします。ですが父親から”賛美歌”を歌うのは耐えられないのでやめろと言われ翌日以降も高校生は国歌を歌わずに過ごします。そうしているとある日ついに学校長の堪忍袋の緒が切れて、「これ以上校則に従わないようなら奨学金を打ち切る」という勧告がなされますが、エリート校に通わせたい高校生の”教育ママ”を除いて高校生とその父親は勧告を突っぱね奨学金の打ち切りが決定してしまいます。
それでも同じ進学校に進んだBlack Fellaの血を引く同級生が抗議の意味を込めて国歌斉唱を一斉に拒否したりと高校側と対立します。最終的に知り合いのカメラマンを利用して学校側がその高校生を退学させる瞬間をパパラッチさせて新聞で記事に載せる事で事を大きくして世論の声を味方につけた高校生側が勝利しそのまま高校生活を続ける事ができるという話しなのですが、Black Fellaに対する差別みたいなものが普段の日常にも存在している事が分かる作品だと思います。
まだまだBlack Fellaを題材にした映画やドラマはありますし自分ももっと多くの作品を見てみたいです。多分というか絶対にウーフやらヘルペックスを使って地元民と生活をしてなければこのような作品を自ら観る事はなかったでしょうからいい機会になりました。今後オーストラリアに永住する場合にも知っておくべき問題だと思いますし早い段階でBlack Fellaのオーストラリアでの位置づけみたいなものが知れて良かったと思ってます。この記事を読んで興味が湧いた方はオーストラリアの図書館でもDVDが借りられると思いますのでここに強くご覧になられる事をおススメする次第です。

TOEICで900点近く取った後にオーストラリアへ再び行ってみた

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オーストラリア滞在の2年目が終了しまして現在はニュージランドへ来ております。
2年も英語圏にいたら英語に関して思う事がありますので実際に生活してみて感じた英語に対する自分の意見をあれこれ。

まったく役に立たないTOEIC

最初1年間オーストラリアに滞在した後に日本に帰ってTOEICを受験しましたら880点と900近いスコアを取りまして拍子抜けするくらい簡単に取れた印象があります。

まずリスニングなんかは本場のプロ(ネイティブあるいは英語が上手な移民)の会話を旅してる間ずっと聞いてるわけですし、そのプロもお手上げのアイリッシュ(アイルランド人)の会話もBGMのように聞いてればTOEICのリスニング問題なんか小学生の宿題レベルに感じました。

ラウンドという旅をずっとしてた人(もしくは留学なりして本場の英語にずっと触れてきた人)にとってはtoeicのリスニング問題はボールが止まって見えるではないですが、ものすごくゆっくり聞こえてくるので「もっと早く喋れ」とやや苛ついてしまうぐらいだったりします。 

文法やら単語は独学やら語学学校を通じてみっちりやってたのでこれも小学生の宿題レベルに感じました。

TOEIC受験後の昨年11月にオーストラリアに戻ってきたわけなのですがTOEICで900点近く取ったからといっても一旦現場に出たらまた惨めな思いをしました。鼻がへし折られるほど自信満々だったわけじゃないので落ち込むのは目に見えてましたがやはり現場のネイティブ英語に立ち向かうにはTOEICは役に立たないと思います。

英語はできるようになるまでやる。その後は自分の世界を拡げたり人間関係を豊かにする為のツールでしかない

そんなTOEICの事は脇に置いといて英語はオーストラリアだとかNZだとかの英語圏で生き続けてる限り一生もんの課題となるのは目に見えてます。

特に自分はウーフやらヘルペックスやらでネイティブの人だとかと絡む機会が多かったからというのもあるかもしれませんが英語力は圧倒的に足りてないのを常々痛感してました。

もう悲しいぐらいに力不足。10何軒も回れば仕事面ではある程度知ってる単語やら表現も繰り返し出てきますので問題なくなってきますがその後に待ちうけていたのは日常会話というエベレスト級の壁がそこには立ちはだかっておりました。

だから途中からTOEICの為とか就活の為のお飾り用のかくし芸的な英語力ではなく本当に必要なレベルまでやらないとダメ、数字に囚われることなく英語は本当にできるようになるまでやらないといけない。そして何よりそれによって自分の周りの世界を豊かにできなければ意味が無いと。

英語というのか言語に関しては日本の受験みたく点数がよけりゃそれでいいという世界観でないというのはこの2年で骨の髄まで刷り込まれました。

友達を作るにしても恋人を作るにしても近所のおじさんと世間話をするにしても車で事故って保険会社にお金を請求するにしても誰かとケンカするにしても英語なんかできて当たり前。そこから先は自分というフィルターを通して生成された英語というツールで人間関係を豊かにしたり、生きていく上での最低限必要なツールでしかないと。

その辺りこの2年の滞在、特に同じ釜の飯を喰って膝を突き合わせて深い話しをする機会が多いウーフなをやってたり、あちこち旅をしてたら否が応でも思い知らされました。

なのでTOEICで点数を取る事に熱を入れている人は、まず英語で打ちのめされる現場を経験する事ができれば多分TOEICを受けようと思わないと思います。